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2017年03月25日

素晴らしきかな、人生(字幕)

2017年3月21日(火)夫婦割 19:05

『幸せのオマケ』とは、

(一解釈)
私たちは皆、つながっている

6歳の娘を亡くし、抜け殻のようになってしまった広告会社の経営者ハワード(ウィル・スミス)。
取引先が次々と手を引き、会社は窮地に。
買収に応じるのが会社を救う唯一の方法だが、彼は会話すらままならない。
共同経営者のホイット(エドワード・ノートン)や社員たちは探偵を雇い、筆頭株主であるハワードが経営に不適格であるという認定をさせるべく策略を巡らす。
探偵は彼が投函した手紙を手に入れるが、それは「時間」「愛」「死」という概念に宛てた手紙。
彼らはたまたま知り合った舞台俳優たちにそれぞれの概念を演じてもらい、ハワードに接触させてその様子を撮影して映像を加工し、それを彼が精神に異常をきたした経営不適格者である証拠にしようと企む。


と、これだけ聞くと何というゲスな物語だと思うだろう。
しかしそうではない。
軽妙なコメディの要素もあるのだが、この作品はとてつもなく重く、深く、そして素晴らしい作品である。

原題は「Collateral Beauty 」。
字幕では「幸せのオマケ」と訳されている。
ハワードがセラピーで出会った女性は、娘を亡くす直前に病院で声をかけられたと言う。
「見逃さないで、幸せのオマケを」と。
こんな時にいったい何を?とも思ったが、彼女は今ではその意味を理解していると言う。
それがどういう意味なのかは是非ご覧あれ。

ハワードを騙そうとする3人の社員たちも悪者ではなく、友人として彼に立ち直ってほしいと願っている。
そして彼らそれぞれにも「時間」「愛」「死」にまつわるドラマがある。

鑑賞前はファンタジーかと思っていた。
序盤でファンタジーではなく現実的な物語と知るが、ゲスな印象が拭えず。
やがてこれはゲスな物語ではないと悟り、そしてラストは・・・。

久しぶりに涙腺が決壊した。
本作はファンタジーなのか、現実的な物語なのか、それは観る人次第。
私の解釈は述べないが、見事に騙されたと言っておこう。
思い返せばヒントは多々あったのだが、今は騙され驚きと感動に包まれたことを幸せに思う。
他の映画のキャッチコピーではないが、これぞ映画の魔法。

「We are all connected (私たちは皆、つながっている)」
本作のオリジナルのキャッチコピーである。
この「私たち」が何を示すのか、想いを巡らすことも映画の至福。

ウィル・スミス主演ということもあり期待していなかったが、まさに幸せのオマケ、それも大きなオマケである。
見逃さなかったことを幸せに思える作品である。   

Posted by rupinasu at 01:08Comments(0)映画 ドラマ 音楽

2017年03月19日

おもしろラジオ発見

星野源&山下達郎のラジオ
K-mis 3/20 19:00~
SBS 21:00~
対談記事
http://minpo-radio101.jp/report.html#report-text



【放送直前SP】山下達郎×星野源 初対談の収録現場をレポート!
2017年の民放ラジオ101局特別番組にて、山下達郎×星野源という豪華な顔合わせが実現しました。 民放連に加盟している日本全国のAM、FM計101局で3月20日(月・祝)に一斉に放送される特別番組「WE LOVE RADIO! ~山下達郎・星野源のラジオ放談」。収録がつつがなく終了したところで、スタッフから当日の模様をネタバレしない範囲でお届けしたいと思います!

そもそも、なぜ、この顔合わせが実現したか。
普段、ラジオはあまり聴かないという方のためにご説明しておくと、おふたりは音楽家であると同時に、毎週ラジオで声を届ける、名パーソナリティという顔もお持ちです。
達郎さんは1992年にスタートした、TOKYO FMの長寿番組「サンデー・ソングブック」を担当し、一方、星野さんは、昨年からニッポン放送の看板番組「オールナイトニッポン」を担当。ともに全国放送で、熱狂的なファンをかかえています。
そして、ここが大切ですが、おふたりは幼少の頃から「ラジオで育ってきた」という大きな共通項があります。
ラジオから流れてくる音楽、落語、浪曲、コメディ、時にはお色気トーク。そんなエンターテインメントのあれこれをラジオから吸収してきたおふたりだからこそ、番組名も「WE LOVE RADIO! ~山下達郎・星野源のラジオ放談」。至極、単純明快です。
ラジオだからこそ、実現したスペシャル対談。しかも初顔合わせ! 我々スタッフもさぞや盛り上がることだろうとワクワクしていましたが、収録がスタートする直前に、おふたり揃っての撮影がありました。
ラジオのブースの中、シャッター音の合間に聞こえてきたのは、達郎さんから星野さんへの矢継ぎ早の質問。
「星野さんは、いま、おいくつなの?」「学生の頃はどんなバンドをやってらしたの?」「部活動は何をやっていたの?」「ご両親は何をやっていらっしゃるの?」そんな質問の数々に如才なく、しかも笑顔で嬉しそうに答えていく星野さんが印象的でした。
そして、そんな質問の中でわかったことは、おふたりの出自に、実は共通点が多かったこと。
「ひとりっこ」で、ご両親が「自営業」。そして若い頃から「バンドをやって」いて、達郎さんが東京、星野さんが埼玉……と生まれた育った場所も遠くない。
そんなおふたりですから、収録が始まると、ラジオにまつわるエピソード、ラジオへの愛はあふれんばかりでした。
特に、テレビのようなメディアと違って、ラジオは「1対1」で聴き手に寄り添うメディア。話し手も、テレビのように不特定多数に「みなさん」と話しかけるのではなく、「いま、あなたは何をしていますか」と個人に話しかける人がほとんど。
だからこそ、親御さんが商売で忙しい、ひとりっこにとっては最高の友達になりえます。ですから、このおふたりが若い頃から抱いてきた、ラジオへの思いというものも、たくさんお聞きすることができました。
さらに付け加えておくと、爆笑トークもてんこ盛りです!
そして最後に、この特別番組のとっておきを挙げておきます。
それは、おふたりがこの番組を聴くリスナーのためにプレゼントしてくれた、スペシャルな生演奏。それぞれ自身のヒット曲を、この番組のためにスペシャルアレンジで届けてくれました。
ラジオだからこその顔合わせ、ラジオだからこそ聞けたお話。そして、ラジオだからこそ実現した生演奏。
来たる3月20日。ラジオを普段聴かないという方も、きっと「ラジオって、いいじゃん!!」を実感していただけると思います。ナビゲーターはマンボウやしろさんが担当します。
ラジオを取り巻く環境は今、劇的に変化しています。
スマートフォンやパソコンで聴くことができるラジオ(radiko.jp)も新しい機能として、聴き逃しても1週間お楽しみいただけるタイムフリー機能や、お友達に番組をオススメすることができるシェアラジオ機能を搭載していて、様々な楽しみ方が広がっています。
放送当日は、ご自宅で、車の中で、移動中にスマートフォンで。各局放送時間(19時−22時台)が異なりますのでお近くの放送局を放送局・放送時間一覧ページでチェックしてください。
それでは、3月20日の放送を、どうぞお楽しみに!








山下達郎いつも毎週日曜日の午後2時からサンデー・ソングブック






山下達郎と星野源 自身のラジオ番組を語る
山下達郎さんと星野源さんが民放ラジオ101局特別番組『WE LOVE RADIO 山下達郎・星野源のラジオ放談』で自身の番組『サンデー・ソングブック』や『オールナイトニッポン』について話していました。

(マンボウやしろ)ラジオの現役パーソナリティーのラジオへの思いに迫ってみたいと思います。山下達郎さんのTOKYOFM『サンデー・ソングブック』。1992年にスタートしたということで、もう25年?

(山下達郎)今年の10月で25周年です。

(マンボウやしろ)そして達郎さんは作家さんもなく、自ら全部やられていると。選曲も……。

25周年の『サンデー・ソングブック』
(山下達郎)台本ないです。選曲も全部1人です。かけるCDもうちの自宅のコレクションなんで。100%。

(マンボウやしろ)あ、TOKYOFMのCDを使っているわけじゃないと?

(山下達郎)じゃないですね。家から持っていきます。家から持ってくるというか、正確に言うと家でリマスタリングして。

(星野源)うわーっ! すごい!

(山下達郎)いやー、オールディーズなので。さっきみたいな1965年とかそういう音楽なので。そうすると、いまの放送のあれだとちょっと音圧が足りないので、家でリマスタリングして、いまの、それこそそういうEXILEとかああいうような音圧でも負けないようなアレンジに上げてやらないと。ショボいんで。古い音は。

(マンボウやしろ)はー! すごい。これ、ラジオを好きなリスナーの人たちも聞いていれば、おそらくラジオで働いている人も、そしてこれから働きたい人も聞いていると思うんですけど。

(山下達郎)いや、でもオタクな番組ですよ。本当に。

(マンボウやしろ)たとえば選曲ひとつ取ったとしても、どういう基準だったり、どういう風に思いながら?

(山下達郎)本当に古い曲をかける番組なので。現代的な視点から鑑賞にたえるやつですね。だから、昔の大ヒット曲っつっても、いま聞くと全く古臭いものにしか聞こえませんけど、全く無名の曲でも、いま聞いても全く鑑賞にたえるっていうね。基本的にそっちが。

(マンボウやしろ)そして年に2回、竹内まりやさんとの夫婦放談がありますけども。どうですか? いつも1人でやられている時と、竹内まりやさんとやる時は?

(山下達郎)いわゆるトーク番組で育った人間じゃないんですよね。僕ね。だから、ラジオっつったら音楽番組なんですよ。だからオールナイトでも、高崎一郎さんとか糸居五郎さんとか音楽主体の番組。パック・インでも福田一郎さんとか八木誠さんとか、音楽主体の番組オンリーなんですよ。だから、逆に星野さんの話を聞いていると、そういうトーク番組に対するセンスって僕、全くないんで。だからそういうところの弱さっていうかね。逆に言うと。だからそれをどうやってリカバーするか?っていうのは自分でずーっと考えてやってきましたけど。

(マンボウやしろ)でも、たとえば僕も一応しゃべるお仕事をさせてもらっていますけども。しゃべるってじゃあ、たとえばトークのリズムだとか、面白い内容がどうこうじゃなくて、僕、達郎さんのラジオを聞かせてもらっていて思うのは、その僕らが知らないところ。たとえば「この曲はこのアーティストが……でも、もともとこのアーティストはこのアーティストが……」っていう、ダーッて掘っていって。「あれ、どこから始まったっけかな?」って1回思うんですよ(笑)。それでまた同じスピードでガーッて戻ってきて曲に行く時の、その他ではあまり聞いたことがない曲の入り方というか。

(山下達郎)それはやっぱり、星野さんが自分で聞いていた番組のそういうトーンっていうのを自分のオールナイトにフィードバックしているでしょう? それと同じで、僕もやっぱり八木誠さんとか福田一郎さんとか中村とうようさんとか。ああいう方々がそうやって新譜を紹介してくれる、そういうようなものを、僕の中にインプットされていて。それがフィードバックしているんです。同じなんです。

(マンボウやしろ)そして、星野源さんのニッポン放送『オールナイトニッポン』。AMラジオの真骨頂ともいえる深夜枠の。

(星野源)そうですね。深夜ラジオっていう感じの内容になっています。

(マンボウやしろ)開放感は強いですか? 深夜って。
『星野源のオールナイトニッポン』
(星野源)そうですね。自分が深夜の時間帯が好きっていうのもあって。で、よく夜中にラジオを聞いていたのもあって。あと、リスナーからのメールがすごく面白いですね。なんて言うんですかね? みんな文才があるというか。だから僕、あんまり自分で面白いことを言おうっていう気じゃなくて、ただみんなで笑っているだけっていう印象が自分ではあるんですけども。あと、自分がやりたいなと常々思っているのは、ちゃんと……すごくオールナイトの中でむちゃくちゃ曲をかけている方だと思うんですけど、ちゃんとフルで流したいなというのは思っています。で、僕がちっちゃい頃にAMを聞いて唯一不満だったのは、ワンコーラスで曲が終わっちゃうことで。「もっと聞きたいのに、なぜ?」っていつも思いながらだったので、自分が番組をやる時は、なるべく事情が……本当に番組が終わっちゃうとかじゃない限り、なるべくフルコーラスでかけて。なぜいまこれをかけたいのかっていう話は、なるべくするようにはしています。あと、いまの若い人も自分が同じようにいろんな人が教えてくれた面白い音楽っていうものを、なるべくわかりやすく伝えたいなっていう。

(マンボウやしろ)「面白い」っていうのは別にオマリー的なことじゃないですよね?

(星野源)オマリー的な方向もありますし、あとはたとえばマーティン・デニーの『Firecracker』とYMOの『Firecracker』と細野さんが中華街のライブだけでやった生演奏の『Firecracker』を全部聞き比べるとか。そういうのをやるとすごい……でも、自分がやっぱりいいと思っているものしかかけたくないっていうのは、それは信条としてはあるんですけども。

(マンボウやしろ)オールナイトニッポンっぽくはないですよね。そうなってくると。

(星野源)いや、でもいわゆるオールナイトニッポンって実は……。

(山下達郎)いいとこ取りだと思う。だから。昔はそんなに全部できなかったから。やっぱりトークの人はトーク。要するに、そういった冗談の人は冗談だし、音楽に特化する人は音楽特化だし。分業的なところがあった。

(マンボウやしろ)わかれていたイメージがありました。

(山下達郎)それを統合した感じがする。すごく。それでフルコーラスかけるっていうのは、すごく新鮮な響きだもん。

(マンボウやしろ)そして、お二人にお聞きしたいんですけども。ラジオの魅力、面白さ。なかなか一言では言えないところもあると思いますけども。いかがでしょうか?

(星野源)やっぱり距離感の近さかなとは思います。テレビと圧倒的に違うのは、自分の近い場所でMCの方なりパーソナリティーの方がしゃべっているという感覚にすごくなルンですよね。特に声だけだったり、音楽だけだったり。その方のパーソナリティーっていうものをすごく身近に感じられるメディアだと思うので。一対一っていう感じがすごく。ラジオ局から全国に流れていたりするものなんですけど、自分のためだけにやっているんじゃないかな?って勘違いできるというか。

(マンボウやしろ)うんうん。

(星野源)だからこそ、すごく気を抜いてしゃべれるといいますか、嘘をつかないでしゃべれるっていうんでしょうか。

(マンボウやしろ)嘘もバレるメディアですしね。

(星野源)ああ、そうですね(笑)。たしかに。

(マンボウやしろ)達郎さんはラジオの魅力は?

(山下達郎)なにも付け加えることはありません。

(星野源)(笑)

(マンボウやしろ)嘘ですよ。本当ですか?

(山下達郎)全く同じ。一対一のメディアっていうか、だからライブハウスと東京ドームの差みたいなね。テレビとラジオって。マスじゃないんですけど、ラジオはそれでもマスなんですよ。だからラジオってマスであり、パーソナルであるという非常に特殊なメディアだと思うんですね。そういうところがすごく……だから、全くそのままで。なにも付け加えることはないです。

(マンボウやしろ)わかりました(笑)。初対面とは思えないです。このシンクロ率が、いまのところ。ありがとうございます。
<書き起こしおわり>



グッと掴まれた一曲 オマリー だれにも、理解されない悲しさと嬉しさ、歌の中で、迷子になっている。
山下達郎 青い目のソウル グッドラック
希望と言う名の光 声が体に入ってきた
一人一人に達郎さんが入った 泣かせる山下 入ったという感覚
アコースティック
もともとは地震前に作ったもの








  

Posted by rupinasu at 12:53Comments(0)

2017年03月16日

20170316休日徒然

Yahoo記事から
なんとなくクリックして見つける
『May J. 「めぐり逢えたら」 (Self Duet of May J.)』
May Jとメイ太郎?本人が男装してデュエット
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00071/v06376/v1000000000000003650/?tab=1&second=0&bplay=1


『May J. / Yeah! Yeah! Yeah! Feat.村上佳佑 』



テレビニュース どこの局?

面白い 雑貨 静岡の中小企業がリーマンショック後から独自のものを出そうとしている
その一つの企業
『三光製作』
富士山グッツ





http://koukinfuji.com/jp/index.html#10thPage



http://sankoseisaku.hamazo.tv/



https://keikakuhiroba-mfi.com/archives/7289


  

Posted by rupinasu at 22:51Comments(0)気になったもの

2017年03月14日

TED 意識不明から回復(13年意志が伝えられなかった)どのように復活

○2015/08/25 昏睡状態の男性の衝撃実話 意識があるのに気づかれなかった13年間|世界まる見え!
http://keeenet.com/2603.html

○2016年5月19日(木)放送、フジテレビ系「奇跡体験!アンビリバボー」
19時57分~20時54分
http://dokujyoch.net/archives/60203792.html


◎TED 2015年8月 Martin Pistorius(マーティン・ピストリウス)
誰も知らなかったことー私の心はどの様にしてこの世に復活したのか?

デジタルキャスト - TED日本語 | 英語字幕・日本語字幕の同時表
http://digitalcast.jp/v/23373/

日本語:
想像してみて下さい 「お腹が空いた」「痛いよ」 「有難う」「愛してる」 ということが出来ず 身体の中に閉じ込められ 身体を思いのままに動かすことが できない自分を 周りに人々がいるのに 完全な孤独です 外界と接触し 人と繋がり、慰め、社会への関与を望むのです それが13年間の私の現実でした

大抵の人は話すことや人とコミュニケーション することを深く考えませんが 私は何度もこのことについて考えました 時間がたくさんあったからです

生まれてから最初の12年間は 普通の幸せで健康的な少年でした それから全てが変わってしまったのです 脳感染症を患いました 医者達はその病名を 突き止められませんでした 懸命に治療に当たってくれましたが 病状はどんどん悪化し ついに私はいかなる動きも コントロールすることができなくなり 目で合図することも ついには話すことすらできなくなりました

入院中には 家に帰りたくて仕方がありませんした 母に「家 いつ?」と尋ねたのが 私の口から発せられた最後の言葉でした ついに意識を確認する 全てのテストで反応しなくなり 私は意識を失ったものと 両親は伝えられました 植物人間 生後3か月の知性しか 持たない赤子扱いです 医師は私を帰宅させ 死ぬまでそっとしておきなさいと 伝えました

両親だけでなく家族は その全ての時間を 私に最善の介護を施すことに 費やしたため 友人を失っていきました 1年経ち 2年経ち さらに 3年の時間が経ちました 存在していた私と言う人格が 失われていくようでした 大好きなレゴ・ブロックや 電子回路が片付けられて行きました 自分の寝室から もっと介護しやすい場所に移動させられました かつては人々に知られ 愛されていた 1少年としての記録が忘れられ 亡霊と化したのです

しばらくして 私の心は蘇り 徐々に意識を取り戻してきました しかし私が生を取り戻したことを 誰も気づきませんでした 私は正常な人並みに 全てのことを認識していました 何もかもが目に入り 理解できるのに それを人に伝えることが出来なかったのです 私の人格は ものを語らぬ人体に 閉じ込められ 身体は外界に晒されながらも 息づく心は繭の中に隠されていたのです

厳しい現実に直面しました 残りの人生を 自分自身の内側に閉じ込められたまま 完全な孤独の中で 過ごすことになるのかと 私と同居するのは 自分の思考だけで そこから救い出されることもなく 誰にも親切にされることもなく 友人と話すこともできず 誰にも愛されることが無いのでしょう 夢も望みもなく 何も期待できませんでした 喜びとなるものは何もなく 恐怖の中に生き 正直言えば いっそ死んで 解放されることを待ち望んでいました ケアホーム(簡易介護施設)での 孤独の死を願っていました

人とコミュニケートできないことが どういうことか 上手く言葉で表せないかもしれません 人格が濃霧の中に消え失せ 全ての感情と望みが 抑制され 消され 自分の中で弱められていく 最も辛かったのは 完全な無力感でした 単に存在しているだけでした 全くの闇の中で 自分自身を見出すことができません ある意味 消失しまったのですから 他の人たちが 私の生活を管理していました 何をいつ食べるといったこととか 横向きに寝るとか 車いすに固定するといったことです しばしばテレビの前に座らされ 『バーニー』の再放送を見て 一日を過ごすこともよくありました バーニーはあまりにも 幸せで楽しそうであり 私は逆なので より陰鬱な気持ちになりました

自分の人生を変えたり 他人に気づいてもらうことに関し 全く無力でした 私が見ているなどと思いもせず 行動する人々を 私は無口なまま 観察していたのでした 不幸なことに 私は観察者であっただけでなく コミュニケートする手段のない 完全な犠牲者になったのです 防御することのない物体 感情すらもないと思われたので 人々の悪い側面が 露わになりました 10年以上の間 私の介護役を担っていた人々は 肉体的 性的 それに言葉で 私を虐待しました 彼らはそう思っていなかったでしょうが 私は感じていたのです 初めて虐待を受けた時 私はショックを受け 信じることができませんでした なぜこんなことが出来るのか? 私は混乱しました なぜこんな仕打ちをうけなければ ならないのか? 泣き叫びたくなる私と 戦おうとする私がいました 苦痛、悲しみそれに怒りが 私の心を渦巻いていました 私は存在価値が無いのでは? 私を慰めてくれる人はいません 両親すら私が苦しんでいることを 知りません 虐待が繰り返されるだろうという 恐怖の中に生きていました それがいつ起こるかだけが 知り得ぬことでした この虐待は自分を変えてしまうのだと 思いました ホイットニー・ヒューストンが こう歌っていました 『私から全てを取り上げようとしても 尊厳だけは奪えないのよ』 私はこう言いたかった 「本当かどうか賭けてみる?」

もしかしたら両親が 気が付いて 救い出してくれるかもしれない しかし 2時間ごとに起きて 私が寝る向きを変えるといった 介護が何年も続いてきたことが 息子を失った悲しみの上に重なって 両親にとって心の重荷になりました 絶望とやけになった気持ちから 両親は激しく口論した後 母は私の方を振り向いて 「あんたなんか死んでしまえばいいのよ」 と言ったのです ショックでした しかし母の言葉について考えるにつれ 強烈な憐れみと 母への愛で 心が満たされたのでした しかし やはり何もすることができません

何度もあきらめの境地に至り 深い心の闇へと落ちていくのでした ある出来事が思い出されます 父が車に私を一人残して 店で急いで何かを買いに行ったとき ある見知らぬ人が横を通り過ぎて 私のことを見て微笑んだのです なぜ微笑んだのかは分りませんが 人との繋がりを感じたほんの一瞬が 私の感情を変え もっと繋がりが欲しいと 願うようになったのでした

日々が単調さによって苦しめられ 何度も堪えられない気持ちになりました 自分の思考しかない中で 床を横切る蟻を見て 複雑な幻想を描いてみたり 影の動きを見て 時刻を知ろうとしました 日中の影の動きを学んだのです それを見て帰宅のお迎えまでの 時間が分りました 父がドアを開けて入り 私を連れ帰ってくれる時が 一日で最高の瞬間でした

私は自らの心を操り 現実から逃避することも 幻想で満たされた広大な世界へと 入っていくことも出来るようになりました 現実の方が変わって 私が意識を取り戻したのだと 誰かに気づいて欲しいと願いました 私の願いは 波にあまりにも近い所に築かれた 砂の城のように すぐに流されてしまうので 誰かが私を見ても いつも変わらぬ私の姿しか見えません あるものにとって 私は口を閉ざした 空っぽの貝や植物であり 辛辣な言葉、追放それに 虐待さえも受けるに値するマーティンで 別の者にとっては 不幸にも少年の時に 脳損傷を受けて そのまま大人になった人間でした 彼らは私に優しく接し面倒を見てくれました 良かれ悪しかれ 私は真っ白なキャンバスで そこには様々な私自身が 映し出されるのでした

そこに違った目で私を見る人が 現れました 1人のアロマセラピストが 週に1回 ケアホームに来るようになったのです 彼女の本能的な力か 他の人では不可能な 注意深い観察力によって 私が彼女の言葉を理解していると 確信したのです 拡大・代替コミュニケーションの専門家に 検査をしてもらうように両親に強く勧めました 1年も経たないうちに 私はコミュニケーション用のソフトを 使えるようになりました それは大きな喜びでした 時には言いたいことが沢山あって それを直ぐに伝えられず イライラすることもありました 話せるようになったので たびたび独り言を言いました 今や自分自身という聞き手がいるのだから 自分の考えや望みを 聞いてくれる人々もいるだろうと 信じました

コミュニケーションが増えるにつれて 自分の新しい「声」を作りだす試みの 始まりに過ぎないと気付きました どのように機能しているか知らない 世界に飛び込んでいきました ケアホームに行くことを止め コピーを取るという初めての職を得ました 単純なことに思えるかもしれませんが 素晴らしいことでした ワクワクするような新しい世界でした しかし時にはひどく圧倒され 怖いこともありました 私は子供のまま大人になったので 自由を感じる一方 苦悶もしました そこで学んだことは 長い間私のことを知っていた人達は その記憶の中にあるマーティンの イメージから抜け出せないことです 一方 初めて出会ったばかりの人達は 無口なまま車いすに座っていた 男性のイメージを払拭できません 中には彼らが期待する通りのことを 私が話すときだけ 耳を傾ける人達がいることにも 気づきました それ以外の話には注意を払わず 彼らが良かれという方法で振舞います

真のコミュニケーションとは 単にメッセージを物理的に 伝えるだけではなく 耳を傾けてもらい 敬意が払われるような ものであるべきだと悟りました 状況はどんどん良くなってきました 身体は徐々に力を取り戻し 大好きなコンピュータの仕事を得ました 何年もの間夢見ていた愛犬も手にしました コジャックです

しかし人生を共にする 人がいたらと願いました 仕事を終えて父の運転する車で 帰宅の途上 窓から外を眺めながら 人を愛する気持ちがこんなにあるのに それを与える好きな相手がいないと思いました ついに残りの人生を一人で過ごすことから 解放される時がきました ジョアンと出会ったのです 彼女との出会いはそれまでの私の人生で 最高の出来事であっただけではなく 私の私自身に対する誤解を解こうと 彼女は手を差し伸べてくれたのです ジョアンは あなたの語る言葉に 惚れたのよ と言いました そう言われても 自信が持てません 誰も私が障害者である事実を乗り越えて 1人の人間として受け入れることは できないだろうと思ったからです

私は本当に一人前の男性なのかと 理解するのに苦しみました 初めて男性としての扱いを受け 私はその場で硬直しました 周りを見渡して「誰?僕の事?」 と言いたくなるような感じです ジョアンは全てを変えてくれました 素晴らしい絆です 心を開いて正直に話すことの 大切さを学びました 心の安心を得て 自信をもって 自分の思ったままに語ることができました 私だって人に愛される価値があるのだと 感じ始めました

私は自らの運命を変えていこうとしました 仕事について少し要求を出しました 周りで手伝ってくれに人に対し 自分一人でやる必要性を訴えたのです コミュニケーション手段を与えられたことが 全てを変えました 言葉と意思によって 周囲の人々 さらには 私自身がもつ先入観に挑みました

コミュニケーションによって 周りの人々と 深いレベルで繋がることで 人間が人間たるものになります 出来事を語ったり 欲すること、必要とすること 願いを表現したり 他人が話すことに 注意深く耳を傾けることです こうやって世界の人々は 自分たちが何であるかを知り得るのです もしこれが無かったら?

真のコミュニケーションは理解を深め 思いやりや憐れみで満たされた 世界を作り上げます 私は 一度は植物状態にあって 車いすに縛られた 意識のない亡霊と みなされていました 今はそうではありません 夫であり、息子であり、友人であり 兄弟であり、事業主であり、大学を成績優秀で卒業し 熱心なアマチュア写真家でもあります 全てコミュニケーション能力のおかげです

動作は言葉よりも 多くを語ると言いますが 疑問です 本当にそうでしょうか? 言葉はコミュニケーション手段として とてもパワフルなのです 口を使って言葉で話したり 目でものを語ったり 言葉を使わず 代弁者を通して コミュニケーションすることもできますが 言葉はその中でも もっとも強力な手段です

私はひどい暗闇の世界から 人々の介護により助け出され 言葉のおかげで 皆さんにお会いすることが出来たのです 本日 皆さんにご清聴頂いたおかげで 私はさらに光の差す世界へと入っていけます 皆さんと一緒に輝くことができます 私がコミュニケーションする上で 最大の障害があるとすれば 愛や感謝の言葉を 大声で言ってみたり 囁くことができないことです いつも同じ調子ですから でも できましたら 次の2語を 出来る限り温かく受け止めてほしいのです

サンク・ユー(有難う)

(拍手)


英語:

Imagine being unable to say, "I am hungry," "I am in pain," "thank you," or "I love you." Being trapped inside your body, a body that doesn't respond to commands. Surrounded by people, yet utterly alone. Wishing you could reach out, to connect, to comfort, to participate. For 13 long years, that was my reality.

Most of us never think twice about talking, about communicating. I've thought a lot about it. I've had a lot of time to think.

For the first 12 years of my life, I was a normal, happy, healthy little boy. Then everything changed. I contracted a brain infection. The doctors weren't sure what it was, but they treated me the best they could. However, I progressively got worse. Eventually, I lost my ability to control my movements, make eye contact, and finally, my ability to speak.

While in hospital, I desperately wanted to go home. I said to my mother, "When home?" Those were the last words I ever spoke with my own voice. I would eventually fail every test for mental awareness. My parents were told I was as good as not there. A vegetable, having the intelligence of a three-month-old baby. They were told to take me home and try to keep me comfortable until I died.

My parents, in fact my entire family's lives, became consumed by taking care of me the best they knew how. Their friends drifted away. One year turned to two,two turned to three. It seemed like the person I once was began to disappear. The Lego blocks and electronic circuits I'd loved as a boy were put away. I had been moved out of my bedroom into another more practical one. I had become a ghost, a faded memory of a boy people once knew and loved.

Meanwhile, my mind began knitting itself back together. Gradually, my awareness started to return. But no one realized that I had come back to life. I was aware of everything, just like any normal person. I could see and understand everything, but I couldn't find a way to let anybody know. My personality was entombed within a seemingly silent body, a vibrant mind hidden in plain sight within a chrysalis.

The stark reality hit me that I was going to spend the rest of my life locked inside myself, totally alone. I was trapped with only my thoughts for company. I would never be rescued. No one would ever show me tenderness. I would never talk to a friend. No one would ever love me. I had no dreams, no hope, nothing to look forward to. Well, nothing pleasant. I lived in fear, and, to put it bluntly, was waiting for death to finally release me, expecting to die all alone in a care home.

I don't know if it's truly possible to express in words what it's like not to be able to communicate. Your personality appears to vanish into a heavy fog and all of your emotions and desires are constricted, stifled and muted within you. For me, the worst was the feeling of utter powerlessness. I simply existed. It's a very dark place to find yourself because in a sense, you have vanished. Other people controlled every aspect of my life. They decided what I ate and when. Whether I was laid on my side or strapped into my wheelchair. I often spent my days positioned in front of the TV watching Barney reruns. I think because Barney is so happy and jolly, and I absolutely wasn't, it made it so much worse.

I was completely powerless to change anything in my life or people's perceptions of me. I was a silent, invisible observer of how people behaved when they thought no one was watching. Unfortunately, I wasn't only an observer. With no way to communicate, I became the perfect victim: a defenseless object, seemingly devoid of feelings that people used to play out their darkest desires. For more than 10 years, people who were charged with my care abused me physically, verbally and sexually. Despite what they thought, I did feel. The first time it happened, I was shocked and filled with disbelief. How could they do this to me? I was confused. What had I done to deserve this? Part of me wanted to cry and another part wanted to fight. Hurt, sadness and anger flooded through me. I felt worthless. There was no one to comfort me. But neither of my parents knew this was happening. I lived in terror, knowing it would happen again and again. I just never knew when. All I knew was that I would never be the same. I remember once listening to Whitney Houston singing, "No matter what they take from me, they can't take away my dignity." And I thought to myself, "You want to bet?"

Perhaps my parents could have found out and could have helped. But the years of constant caretaking, having to wake up every two hours to turn me, combined with them essentially grieving the loss of their son, had taken a toll on my mother and father. Following yet another heated argument between my parents, in a moment of despair and desperation, my mother turned to me and told me that I should die. I was shocked, but as I thought about what she had said, I was filled with enormous compassion and love for my mother, yet I could do nothing about it.

There were many moments when I gave up, sinking into a dark abyss. I remember one particularly low moment. My dad left me alone in the car while he quickly went to buy something from the store. A random stranger walked past, looked at me and he smiled. I may never know why, but that simple act, the fleeting moment of human connection, transformed how I was feeling, making me want to keep going.

My existence was tortured by monotony, a reality that was often too much to bear. Alone with my thoughts, I constructed intricate fantasies about ants running across the floor. I taught myself to tell the time by noticing where the shadows were. As I learned how the shadows moved as the hours of the day passed, I understood how long it would be before I was picked up and taken home. Seeing my father walk through the door to collect me was the best moment of the day.

My mind became a tool that I could use to either close down to retreat from my reality or enlarge into a gigantic space that I could fill with fantasies. I hoped that my reality would change and someone would see that I had come back to life. But I had been washed away like a sand castle built too close to the waves, and in my place was the person people expected me to be. To some I was Martin, a vacant shell, the vegetable, deserving of harsh words, dismissal and even abuse. To others, I was the tragically brain-damaged boy who had grown to become a man. Someone they were kind to and cared for. Good or bad, I was a blank canvas onto which different versions of myself were projected.

It took someone new to see me in a different way. An aromatherapist began coming to the care home about once a week. Whether through intuition or her attention to details that others failed to notice, she became convinced that I could understand what was being said. She urged my parents to have me tested by experts in augmentative and alternative communication. And within a year, I was beginning to use a computer program to communicate. It was exhilarating, but frustrating at times. I had so many words in my mind, that I couldn't wait to be able to share them. Sometimes, I would say things to myself simply because I could. In myself, I had a ready audience, and I believed that by expressing my thoughts and wishes, others would listen, too.

But as I began to communicate more, I realized that it was in fact only just the beginning of creating a new voice for myself. I was thrust into a world I didn't quite know how to function in. I stopped going to the care home and managed to get my first job making photocopies. As simple as this may sound, it was amazing. My new world was really exciting but often quite overwhelming and frightening. I was like a man-child, and as liberating as it often was, I struggled. I also learned that many of those who had known me for a long time found it impossible to abandon the idea of Martin they had in their heads. While those I had only just met struggled to look past the image of a silent man in a wheelchair. I realized that some people would only listen to me if what I said was in line with what they expected. Otherwise, it was disregarded and they did what they felt was best.

I discovered that true communication is about more than merely physically conveying a message. It is about getting the message heard and respected. Still, things were going well. My body was slowly getting stronger. I had a job in computing that I loved, and had even got Kojak, the dog I had been dreaming about for years.

However, I longed to share my life with someone. I remember staring out the window as my dad drove me home from work, thinking I have so much love inside of me and nobody to give it to. Just as I had resigned myself to being single for the rest of my life, I met Joan. Not only is she the best thing that has ever happened to me, but Joan helped me to challenge my own misconceptions about myself. Joan said it was through my words that she fell in love with me. However, after all I had been through, I still couldn't shake the belief that nobody could truly see beyond my disability and accept me for who I am.

I also really struggled to comprehend that I was a man. The first time someone referred to me as a man, it stopped me in my tracks. I felt like looking around and asking, "Who, me?" That all changed with Joan. We have an amazing connection and I learned how important it is to communicate openly and honestly. I felt safe, and it gave me the confidence to truly say what I thought. I started to feel whole again, a man worthy of love.

I began to reshape my destiny. I spoke up a little more at work. I asserted my need for independence to the people around me. Being given a means of communication changed everything. I used the power of words and will to challenge the preconceptions of those around me and those I had of myself.

Communication is what makes us human, enabling us to connect on the deepest level with those around us -- telling our own stories, expressing wants, needs and desires, or hearing those of others by really listening. All this is how the world knows who we are. So who are we without it?

True communication increases understanding and creates a more caring and compassionate world. Once, I was perceived to be an inanimate object, a mindless phantom of a boy in a wheelchair. Today, I am so much more. A husband, a son, a friend, a brother, a business owner, a first-class honors graduate, a keen amateur photographer. It is my ability to communicate that has given me all this.

We are told that actions speak louder than words. But I wonder, do they? Our words, however we communicate them, are just as powerful. Whether we speak the words with our own voices, type them with our eyes, or communicate them non-verbally to someone who speaks them for us, words are among our most powerful tools.

I have come to you through a terrible darkness, pulled from it by caring souls and by language itself. The act of you listening to me today brings me farther into the light. We are shining here together. If there is one most difficult obstacle to my way of communicating, it is that sometimes I want to shout and other times simply to whisper a word of love or gratitude. It all sounds the same. But if you will, please imagine these next two words as warmly as you can:

Thank you.

(Applause)



TED(Technology Entertainment Design)とは?
Ideas worth spreading (広める価値のあるアイデア)の精神のもと、学術・エンターテインメント・デザインなど、様々な分野の第一線で活躍する人物を講師として招き、定期的にカンファレンスを開催しているグループです。
カンファレンスの模様は、TED Talksという動画アーカイブとしてインターネットを通じて全世界に無料で公開されています(随時更新)。

過去の講演者にはボノ(U2)、ビル・クリントン(元米大統領)、アル・ゴア(元米副大統領)、セルゲイ・ブリン&ラリー・ペイジ(Google創業者)をはじめ、各界の最前線で活躍する実業家、研究者、アーティストが世代や国境を越えて名を連ねています。


TED Talksの魅力 https://matome.naver.jp/odai/2130899017379563201
☆極上のプレゼンテーション

TEDで講演を行うのは、世界中から選りすぐられたその道の一線級の人物です。綿密に準備されたプレゼンテーションは情報として有益であるだけでなく、どれもユーモアとウィットに富んだ素晴らしいものばかりです。

☆凝縮された濃厚な時間

TEDの講演は長いものでも20分ほどです。なかには5分程度のものもあります。退屈で眠くなるなんてことは絶対にありません。どんなに忙しい人でも問題ありません。日常のちょっとした空き時間が、楽しく刺激的な時間に変わります。


☆大人のための教育番組

TEDが扱う分野は多岐にわたります。政治やビジネスなどの真面目な話はもちろん、あっと驚く最新テクノロジーの紹介や、音楽のライブ演奏などもあったりして、まったく飽きさせません。また、TEDには日本のセミナーにありがちなコマーシャル目的の講演がありませんので、純粋に知識や教養の摂取を楽しむことができます。




  

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2017年03月12日

日曜劇場A LIFE(第9回 最終回前)2017年

20170321(火)朝yahoo記事
『木村拓哉「孤独こそ大事…」解散騒動渦中支えた“父の教え”』
女性自身 3/21(火) 0:00配信  以下記事を引用
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170321-00010003-jisin-ent

≪「初めての“ソロ活動”となる『A LIFE』が失敗したら、“一人になったキムタクにもう往年のパワーはない”と言われるのは必然。関係者はみんな、そういう色眼鏡で成り行きを見ていました」(テレビ局関係者)

当初の心配とは裏腹に今クール最高視聴率を記録した『A LIFE~愛しき人~』(TBS系)。主演の木村拓哉(44)は見事にプレッシャーを乗り越え、ドラマは3月19日放送の最終回で有終の美を飾った。実はその陰で支えていたのが、父親役を務めた田中泯(72)だった。

「今回のドラマで『僕の父親役に田中さんを』と強く推したのは、木村さん本人だったと聞いています」と前出のテレビ局関係者は語る。木村はなぜそこまでの熱烈オファーを出したのか。きっかけは、1年3カ月前にさかのぼる。

「2人は昨年1月、映画『無限の住人』の初共演で出会いました。昨年1月といえば、SMAP解散騒動に火がついて木村さんは“裏切り者”としてひどいバッシングを受けていました。現場では、だれもが木村さんを“腫物扱い”。そんなとき、彼に手を差し伸べたのが田中さんだったんです。田中さんは自分の撮影シーンじゃなくても、木村さんを心配してつねに撮影を見守っていました。2人の間には、自然と絆が生まれたのでしょう」(映画関係者)

田中は、大河ドラマ『龍馬伝』や映画『八日目の蝉』『永遠の0』などに出演する名俳優。

「木村さんが尊敬してやまないのは、田中さんが歩んで来た72年間の人生そのもの。田中さんは自分の心に従い、真摯な生き方を貫いてきました。決して無理せず、自然体そのものの田中さんの生き方は、木村さんにはまぶしく映ったのでしょう」(前出・映画関係者)

28年間ともに歩んできたメンバーとすれ違い、孤独に苛まれていた。ひとりきりで思い悩んでいた木村にとって、田中の“教え”はかけがえのない支えになったようだ。

「今の世の中、『空気を読め』って協調性ばかりが求められるでしょう?でも田中さんは『孤独こそが大事だ。誰にも見られていないときにこそ、本当の自分がいる。俳優は人前でカッコよくふるまうものだ。しかし周囲に人がいない孤独なときにこそ、カッコよく生きろ』と木村さんに説いたそうです」(前出・映画関係者)

田中との“出会い”からおよそ半年後、SMAPの解散が正式に決定。「田中さんの“孤独の教え”が木村さんの“決断”の後押しになったのかもしれませんね」と芸能関係者は言う。そんな木村が、SMAP解散後初めて1人で挑んだのが『A LIFE』だった。

「今回のドラマでも“孤独なときにこそカッコよく生きろ”という田中さんの教えが生きたんです。クランクイン前から実際の手術を見学に行き、本物の医者顔負けの縫合の技術を身につけてきました。監修を担当した医師も、3月に入ったころには、木村さんの手術の腕前に“プロ級”のお墨付きを出していました」(ドラマ関係者)

努力が功を奏し、木村の演技は高い評価を得る。右利きの木村が左手で縫合するシーンでは、共演する松山が「かっこいい!」と思わず感嘆する仕上がりに。そうして高視聴率と共演者からの信頼を得た木村は“人生の師”である田中へ尊敬の念をつのらせていった。

「3月10日は田中さんの72歳の誕生日で、全員で盛大にお祝いしました。じつはその5日前の3月5日が松山ケンイチ(32)さん、その前日の4日が安井順平(43)さんと3月に入って誕生日ラッシュだったんです。でも田中さんの誕生日だけは木村さんの様子が違いました。安井さんや松山さんのときはノリノリな感じだったのが、田中さんのときは、木村さんも『おめでとうございます』と丁寧に頭を下げていました」(前出・ドラマ関係者)

“畏敬父”田中は、インタビューで木村について言葉少なに「木村拓哉は相当な苦労をして生きている人。もう一般的にはありきたりかもしれませんが、彼はすばらしいですよ。本当にそう思いました」と語っている。田中の教えで“孤独への道”を切り開いた木村。パワーアップした彼の今後の活躍から目が離せない――。≫



2017年3月12日
『日曜劇場A LIFE(最終回前)』
木村拓也と親父さんとのやりとりの言葉から
【一途一心】にフムフム
木村拓也と新コンビのNsさんとの言葉のやり取り以外に
アイコンタクトできたあたりで涙

すし屋のお父さん「一途一心に出す、それが職人だろ!」

雑念は置いといて、目の前のことを、ひたすら・ひたむき にやる。
一つ事に命を 懸けること、ともいえる。



沖田一光(キムタク)。

寿司屋を営む父親に会いに戻って

自分の息子を過小評価している昔気質の父親役、沖田一心をしているのは?

田中 泯(たなか みん)さんです。
田中 泯(たなか みん)

かなり有名な「舞踊家」
  

Posted by rupinasu at 23:53Comments(0)映画 ドラマ 音楽

2017年03月12日

大河ドラマ『おんな城主 直虎』

『直虎 第10回「走れ竜神小僧」』
柴咲コウと三浦春馬と高橋一生の言葉のやりとりに涙
柴咲コウと浅丘ルリ子との言葉のやりとりに笑
【日々是好日(にちにちこれこうじつ)】

三浦春馬が柴咲コウに、「そのかしは、おとわ 伊井の姫にささげましょう」涙
(三浦春馬の義父が、高橋一生を襲い、それから逃れようとして誤って刺してしまう。
柴咲コウ(二郎様)は、春馬の奥さんに、事の説明 名代とすることを提案したのかな、
また、春馬は、一生がその状況で行ったことを見抜き家臣に説明し、おとがめ無しとする。
←このあたりが、貸しかな(*^^)


ちょっと、調べてみました(*^^)v
【日々是好日】
…よい日も悪い日も、大事な一日

…良い日もあれば、悪い日もある。 晴天、雨の日、風の日があるように様々な
問題が起き、悩ませられることばかりかもしれない。しかし、どんな風雨があろうとも、
日々に起きる好悪の出来事があっても、この一日は二度とこない一日であり
かけがえの無い一時であり、一日である。この一日を全身全霊でいきることが出来れば、
まさに日々是好日となるのである。
 
 好日は願って叶えられるものではなく、待ってかなえられるものではない。
自らの行き方に日々に好日を見出しえなければならないのだ。
口座して待つのでなく主体的に時を作り充実したよき一日一日としていきていくところにこの語の真意がある。


龍潭寺の僧侶・傑山
(取材・文/井上健一)引用
「初めて鏡を見た時、見たことのない自分が映っていたのでビックリしました(笑)」市原隼人(傑山)【「おんな城主 直虎」インタビュー】

次郎法師(後の直虎/柴咲コウ)の兄弟子に当たる龍潭寺の僧侶・傑山。次郎法師を影のように見守り、一朝ことあらば、鍛えた武芸で窮地を救うその男らしいたたずまいに、頼もしさを感じている視聴者も多いに違いない。大河ドラマ初出演となる市原隼人が、傑山という人物に込めた思い、作品に懸ける意気込みを語った。



-大河ドラマ初出演が決まった時のお気持ちはいかがでしたか。

 大河ドラマはどんな人でも知っていて、ドラマというエンターテインメントのジャンルを支えてきた歴史と重みのある作品なので、本当にうれしかったです。それと同時に、しっかり誠意を持って作品と向き合い、自分自身の成長の場として、何かを残せるように現場に入ろうという気持ちになりました。

-撮影が始まって、大河ドラマならではだと感じたことはありますか。

 時代劇だからということもありますが、これだけ多くの人が集まっていろいろな人の思いや熱を感じられる作品はなかなかないので、他の作品とは一番違います。お経を覚える経験でも、その意味や目的、どういう形で使われているのかということを調べていく中で、学ぶことがたくさんありました。

-役作りのためにどんなことをしましたか。

 どんな作品でもそうですが、実在の人物を演じる場合、しっかりと敬意を払い演じたいと思っています。お坊さんを演じるのは初めてですが、どんな思いでお寺に立っていたのか、どんな思いで直虎のそばにいたのか。そういうことを理解するために今回もお墓参りに行き、覚えたばかりのお経を唱えながら、「よろしくお願いします」とお祈りしてきました。

-演じる上で心掛けていることはなんでしょう。

 まずは、何を伝えるにしても、感情的に話すのではなく、しっかりと相手に投げ掛けられる言葉として話すように心掛けています。例えば、笑う時でも、その場の空気に合わせて笑うのではなく、ちゃんと相手の心の奥を見て笑う。それが時間と共に何らかの意味が出てくるような形になればいいと思っています。

-お経を唱える場面もありますね。

 般若心経を唱える場面がありますが、既成概念を取り払って本質を見抜くという教えは演技にも通じることなので、演じる上でも役に立っています。撮影の時には、本番の最中であるにもかかわらず、独特の空気感が出ていて、終わった後もすぐに言葉が出てこないような余韻が漂っていました。僕は余韻があるものがすごく好きなんですが、余韻の中に何が残るか、お客さんにどう感じていただけるかということも、作品の楽しみの一つだと思っています。お茶の間でご覧いただく時も、何かを感じて、誰かと話すきっかけになったら嬉しいです。

-武芸に秀でた傑山には、アクションの見せ場もありますね。

 言葉よりも体で表現できるのは僕だけの特権なので、お経より先に武術の稽古を始めたほどアクションは大事な要素です。手や足の皮がむけるまで、しっかり稽古をしました。戦国時代は今と違って、稽古も相手を殺すような気持ちでやっていたと思うんです。そんな気持ちが画面にも出るように、と考えながら稽古をしていたら、自分の中でスイッチが入って、自然と「まだまだ足りないです」という言葉が出てきました。僕は「いただきます」、「ごちそうさま」という日本人ならではの礼儀の意味や大切さを、さまざまなスポーツから学んできました。技術的な面はもちろんですが、武術を披露する場面では、そういう気持ちを表現できるように心掛けています。

-具体的にはどんな稽古をされたのでしょうか。

 僕は2歳から水泳と器械体操を続けてきました。一時期、空手をやっていたこともあります。今回はそこに長刀の稽古を加えて、体力維持のためにジムにも通っています。これから先も、どんどんその成果が発揮されていくので、楽しみにしていただきたいですね。

-同じ龍潭寺の僧侶である南渓和尚役の小林薫さん、昊天役の小松和重さんの印象はいかがでしょうか。

 一緒にいて気持ちがいいです。撮影でも、ただ映ればいいのではなくて、その場面の意味を考えて、互いにどうしましょうかというようなお話をされています。僕は、自分が身に付けるということを意識しながら、南渓和尚の振る舞いやしぐさを見ています。昊天さんは、いつもそばにいて言葉を交わさなくても以心伝心でつながっているような関係なので、自然と目が合う機会が多いです。すごくいい形になっているので、ご一緒できて本当に良かったです。

-丸刈りの特殊メークについてはどんな感想をお持ちですか。

 初めて鏡を見た時、見たことのない自分が映っていたのでビックリしました(笑)。毎回、2時間ぐらいかけてメークをしているのですが、そのおかげで、座っている間に気持ちが入っていき、その日のお芝居や撮影するシーンなど、いろいろなことと向き合えます。そういう時間を持てる作品はなかなかないので、単に特殊メークを施すだけでなく、その日の全てにつながっていく大切な時間になっています。

-市原さんご自身と傑山の共通する部分はありますか。

 傑山は何が起きても笑っていられる姿が印象的です。いろいろな出来事に遭遇する中で、その場の状況や空気、周りの情報に流されず、自分の考えをしっかり持ち、それをベースに目の前のものを見られる。修行を積んだ傑山には、そんなところがあります。僕も、他人に対しては先入観を持たないようにしています。直接お会いして話をする中から、自分の経験として相手を知っていく形が好きなので、そんなところは少し似ていますね。

-傑山は直虎をどんな思いで支えていくのでしょうか。

 子どもだったおとわが大きくなって、亀之丞と再会するところを物陰から見るシーンの撮影の時、なんだか自分の娘を見守るような気持ちになりました。大きくなってからも、自分の娘を見ているような気持ちは変わらないと思います。昊天が直虎の母だとすれば、傑山は父。愛情がある故に強く言ってしまうこともあれば、逆に言えないこともたくさんある。そんな繊細な思いを秘めながら、見守っていくのではないでしょうか。

(取材・文/井上健一)

  

Posted by rupinasu at 23:52Comments(0)映画 ドラマ 音楽

2017年03月11日

You Tube をのらりくらり

スマホの写真や動画を整理しよと思ったら…つい
のらりくらりと You Tube を見てしまった

THE BLUE HEARTS/情熱の薔薇


トレイントレイン



リンダリンダ / THE BLUE HEARTS / LIVE


THE BLUE HEARTS - 青空 (Aozora)



上を向いて歩こう / 忌野清志郎&甲本ヒロト



Studio Ghibli Nisshin Commercial


Ghibli Nisshin Seifun CM 2


Nisshin Seifun Group - Tercer Anuncio



  

Posted by rupinasu at 18:47Comments(0)プライベート

2017年03月07日

2017年3月1日録画『コラーゲン』

ためしてガッテンTV 2017年3月1日放送(録画にて)
決定版!コラーゲン100%活用SP
 褥瘡 ・関節痛 効くかも

また今後、ちょっとまとめたい(メモしたい)

・関節の痛み(変形性膝関節症など)に、ドイツの病院では、コラーゲンが使われ始めていると。
・大学駅伝の強豪校は、コラーゲンを食べることによって、酷使される関節の怪我や痛みが軽減した。という実感を得ているそうです。
で、職員の大塚さんに言ってみたら、以前から知っていて、息子さんの食事に気を使っているそうです!
  

Posted by rupinasu at 22:36Comments(0)健康TV・その他の情報

2017年03月06日

手帳の活用法後の1日でよかったことめも(2017/3/5より)

20170728(金)
落ち込み強いも、近所の鈴木さんに「ねこのボランティアは続行中ですか?」とメールする。
子ネコが2匹活発に動いていると。日曜日あたりに、見せていただけることになった!うれしい!楽しみ!



20170725(火)
明日の日本平花火は、スーちゃん腰痛で中止のメールあり、私もいまいち体調不安あったのでよかったのかも!

面接、とりあえず、土曜の4時間のみ+スポットでスタート!収入不安はあるものの、まずは、外との繋がりを持つ。
しばらく、失業保険もらい、時間を伸ばす交渉か、他の仕事を掛け持ちの方向もあるのではとヒロムより。

今あるのを取り崩して60までつなげば、なんとかなるとヒロムと確認。

あと、夏の疲労回復に、TVより、キュウリ+梅 山芋…ムチンが疲労回復効果あり 
幸せホルモン…オキシトシン⇒今日の良かったことを、寝る前に、思い出して寝ると、(寝ることで記憶に焼きつく)
翌朝気持ちよく起きれると!
新聞屋さんとの雑談なども、雑談もできた。

TV『カンナさん』渡辺直美主演 仲間の発注ミスの責任を負う。チームワークみんなで助け合う。
辛い時ほど、笑う。兎に角、目の前のことをやる。
これだけの山のピンチを乗り越えて、明朝、みんなで笑えるように頑張ると!

また、『楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ!』ウイリアム・ジェームズの名言

面接時に、ちょっと説明してくれた看護師さん、「こことってもステキなところですよ!」と、そう言ったその方自身が
とてもステキな人でした。綺麗でしたし! わたしもステキでありたい!!

そう、
まずは、動き出そう(*^^)v それからだ!!  何か開けるかもしれない!ゴー!


20170724(月)
平野鍼灸院にて 
・いつもは、左側が重かったり、動きが悪いが、今日は、逆転している。何かあった?と聞かれるが、特に心当たりなし…???

先生のペメラニアン14歳だったと。半年前にヘルニアになって歩けなくなり、
危ないとも言われたが、針を打って回復半年のびたと。獣医の友達が、小学に上がる前の子供は
なくなるということが、分からず、僕の犬を返してといわれると切ないと。
子供をなくした人が、「元気であったらあとはいい」と言っていたが、次の子供ができると、「勉強ができないと。」
と言っていたりもある。
獣医の友達もまた飼ったらいいんじゃないかとも言われた。娘の婿のお父さんは75歳で
我慢できなくて飼ってしまったと。


免許の再交付関連の話

そんな話を、たらたら、久々だんなと話せた!



20170718(火)
母親に、塗り絵の本でもと思い、書店をちょっと覗くも、先走ると全く拒否がつよいかな?
見るだけですむ…動物の写真集 ねこ (動物嫌いと言われそうだし)
浅井美紀さんの『幸せのしずく』という写真集を、初めて買った。あす持っていく予定。

いつもは杏林堂のパート中で、パソコン教室を自分が終了してから話をしたことがなったが、今日は買い物中に、
たまたま出会って、立ち話。パソコン教室は、(清水のほうで)引き続き通っていて
週1回2時間、現在イラストレーターをやっていると。
自宅ではCS2を教室では、CS5をやっていると。バージョンが合っていないので、使いづらさあると。
でも、趣味なのでいいとの事!また、5月からは、2階で運動もやっていると。
食事作りを聞くと、薄焼き卵を作って切って、冷凍保存して使うとよいと。
あと、味噌汁も冷凍できると。ビックリ!
以前と変わらず、睡眠時間は短いものの、パソコン・体操・パート 楽しいと!
有人のホームページも作ったが、自分のホームページが途中で、
2年も離れていたら、全く分からなくなってしまった話をしたら
また、やりましょうと!(話が、できて、良かった!)…ちょっと前向きに、考えてみようかなと思えた。
“自分の何かを動かしたい”そんな感じかな(*^_^*)

面接を大石さんに電話して頂き、来週その予定となる。ゆっくり一つ一つ…前へ



20170715(土)
駅南よりペガサート図書館に移動中、高級食パンの店に長い列が出来ていた。
それを過ぎた交差点前に、そのパン屋さんの紙袋を2つ腕に掛け、
OL女性風?銀行員のような黒チェックのベストに白いブラウスで黒いスカートで
黒いハイソック…しかし、頭が薄い…おじさんの頭…??? 横顔もおじさん
自転車で追い抜いて、しばらく過ぎてから、遠めに振り返るとやはり…おじさん?
動きは、OL風 堂々としていたので、違和感のあるような無いような???
なにごとも臆せずしたら、いいのかな!


20170714(金)
ぴったんこカン・カン
渡辺直美の実家が火事で全焼 母ターミーネーターのように火事の家から出てきたと!
大変なことを爆笑の渦にしていた。(また、アルバム無くなり、母が、台湾の知り合いに
昔の写真などを集めたとも) もののとらえ方かな、ただただ感心!!!


20170508(月)
①小さいクーちゃんに先日の写真と動画のデーターDVDを渡せた!
②『まめぐい』を頂く かわいい! 正面から耳もあり、後ろはシッポあり、顔をめくると、赤い首輪あり

まめぐいHP⇒こちら



まめぐい


まめぐい×CHUMS コラボレーション お包みの仕方



20170428(金)
谷川俊太郎の詩、昔コーヒーのCM → 朝のリレー

朝のリレー

カムチャッカの若者が きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では いつもどこかで朝が始まっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと そうしていわば交替で地球を守る
寝る前のひととき耳をすますと 
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴っている
それはあなたの送った朝を 誰かがしっかりと受け止めた証拠なのだ



20170423(日)
①朝 恵子さんに会う。彼女は大丈夫だったが、彼女の周りが…いずこも大変
②美代子さんに、入居の際にあったほうがよいということも言ったが、留守電で「やっぱりやめると」と。佳子にもメールで伝える。
それでもしかたないかな




20170417(月)
①昨夜ラインにて、Oさん Hさんより、返しを頂くも、見る事ができず、夜中開く、ありがたい言葉を頂く。
でも、夜に返信を返す。ありがたいと思う。
②セブンイレブンにて立ち読み、雑誌名が、わからない。レジエンス(心の自己回復力)について、あと、稲盛さんのこともチラットのっていたような?
③NHK今日の健康にて、
今週は、うつについてやる。老人のは4日目の予定
今日は、
『軽度ウツについて』
・心理教育
 ・うつ病についての説明
 ・治療開始ー寛解ー回復(1年+α)
・支持的精神療法
・薬物療法
・認知行動療法
☆自分で出来ること
・先のことでなく、今日・明日・明後日くらいまでを考える
 良かったことを思い出す
・生活のリズムを整える
・より積極的な運動
④勝又さんへ、WAHAHA本舗の券が当選したことを連絡する(OK)



20170415(土)01:30非公開設定とする。
ジョイブで、
・イデゴセミナー  ・WAHAHA本舗全体公演  が、抽選当選となっていた。これで、流れが、かわってくれたらと思う。


20170414(金)
①昼休み、久々出て図書館にちょこっと行き、即ユーターンその際に、今年、初めて、桜を見た。きれいだった。
②必死で、時間で終わった。振ってくれていいと。メモがウザイを繰り返され、バタンと出てきてしまった。帰宅後、
告げ口のような言い訳のようなメールをしてしまう。ここまで言ったら、危険と思われるが、それでも言いたかった。
これで、上が知り、危険ということで、排除されるんだろうな。
ついでに、選挙の名前を書いてと言われ、断ったら。社長から、書くように言われているから書いて。
そういう問題じゃない。めんどくさいので嫌です。めんどくさいで書かなくていいなら書きたくないというようなこと
何人だか集めるのが社長からの指令のようだ。会社で、社員に強要するのは、いけないと思う。
せめて、何々をする人だから、とあれば、もう少し違ったかもしれないが。




20170410(月)
①施設長電話中にて残業をメモでお願いする(薬出しはしていないが、送り以降で、ピコスルの定時内服から加減こちらに変更記録とメモ、昨日熱発あった方の本日の経過報告。眼科手術当日日帰りしてきた方のバイタル測定。物品発注後の折り返し電話受け。バイタル入力途中。明日に持ち越し。伝言の整理・また新たな伝言つくり。明日出勤前の受診の方の薬つくり。物品ごみ片付け。水曜の入所の方の明日やることメモ。
②美代子に電話で下着・寝巻きの着替えお願い。そのご、あれこれ聞く。いま困っていることは?→自分の生い立ちが分からない。何年に何をしたか。いつ結婚したか。家を何時建てたか。等々。尽きない。
(ヒロコの生まれた所を聞いといた→新潟(こいでまち)小出町)
③美空ひばりのTV番組 途中からチラ見
『一本の鉛筆』→うたこちら
『われとわが身を眠らす子守歌』→うた(右を入力してユーチューブで検索)われとわが身を眠らす子守唄 美空ひばり
…歌詞…気になって見てみると…
作曲:三木たかし
作詞:なかにし礼
眠れ 眠れ わが魂よ
雨の 匂いに むせながら
みんな 最後は 一人ぼち
てんてん 手鞠の 手がそれて
別れて 来ました あの人と
眠れ 眠れ わが魂よ
明日は嵐か 青空か
みんな自分を 愛してる
てるてる坊主の 真似をして
死んだりしません つらくとも

眠れ 眠れ わが魂よ
われとわが身を 抱きしめる
みんな迷い子の 一人旅
さよなら三角 また逢って
今度は 二人で 眠りたい

④真央ちゃん引退ブログで発表とテロップが流れる ビックリ!
⑤入浴Oサンにショートメール入れようとするが、送れず。明日言おう!
⑥佳子から悲しいとメールと先生に事前に渡したと言うここ1ヶ月の経過書添付あり
それに対して書く




20170409(日)
①朝、体調不良。寝なおす。昼頃起きて、買出しに行こうとしたら、車が無く、パルシェの禅の講演のあとに、買出しに行った。
かなり込んでいて、駐車場で、待っていたら、先に割り込んできた車があった。誘導員に、私のほうが先だ、その車出してと、ジェスチャーをしたら、誘導員さんが、そうした。たぶんそんなこと多いんだろうな。さばき方が、よかった。
②パルシェで禅の講演聞く
隣の方、前の席の方、は、住職(ジョブズの住職かな?)のゆかりの人たちらしく、幼稚園時代の写真やいろいろ
「Zen Is Right Here」を見せてくれた。また、「禅マインド ビギナーズ・マインド」は、「2」もあることを教えてくれた。販売も、あったが、
サインもくれるとのことでもあったが、混んでいて、時間も掛かりそうなので、他で求めることにした。
なかなか、いい話だった。禅に興味を持った。
③大塚さんの原因?に答えて(以下)
昨夜は、吐き気・耳痛み・頭痛・眩暈
朝もダメで、また薬のんで寝て、
昼すぎ、だいぶ楽になってきて、買い出しに行き、
ガッツリ食べました。

耳痛は、ずっと続いていて、耳の不安は、私自身が持っていて、
小松さんに、お渡ししたプリントは、(耳について何かよいこもはないかと、訊かれ)、SBSで受けてきた講習の、ざっくりまとめでした。

原因(多々の一部)
・事務所は、だれもいない。戻ってこないこともしらなかった。
・苦しいと言っても、「そんなことないですよ、頑張りましょ」
もうこれ以上 頑張りましょなんて言わないで下さい。
といったのですがわ、
「そんなのうそ、大丈夫!
私も頑張るから、杉本さんも頑張って」と。

私、以前に、辞めると北澤さんに言ったとき、
北澤さんは真っ赤になって、「辞めるなんてよく言えますね。細谷さんだって頑張っているのに。私は、怒りで、体が震えます!」と言われ
私もキレていたので、
「震えてて下さい」と、出てったこともありました。
それは、一度きりでしたが、
とりあえず、1日をなんとかこなそうとしていたら、いつの間にか、今に至ってしまったという感じです。

今、地震に見舞われていないこと。戦争に巻き込まれていない。
食べれていること。眠る場所があること。

今を、ありがたく感じています。

なんだか、まとまりませんでしたが、

明日からは、3日仕事が続くのが、不安です。

たぶん、ギリギリでやっているのは、感じてる方いると思います。

ただ、教務は、やるからには、きちんと対応したいとは思っています。

また別件ですが、あまりに疲れて寝たとき、
明日の朝、目が覚めないのではないか
と思った日も、けっこう
あります。
それも、ちょっと言ったのですが、
一笑に付されてしまいましたが…

アブナイ感じですが、

日々、そんなことばかり
考えているわけではないなで大丈夫かなです。

また、長々、すいませんでした。

おやすみなさい。

④大塚さんから「好きですから!」とあった、むずがゆいが、うれしかった!!
なんで、目標発表 ナースの話 施設長 大塚さん評価ってなんだろうか?

⑤ライスミルク 試供品を頂く 微妙な味 なんとも記憶にあるような感じもする1本129円くらい

⑥追加 『直虎』をみて
禅語
清風払明月 明月払清風
(せいふう めいげつを はらい  めいげつ せいふうを はらう)
意味:
1:明るい月に照り映える広野に涼風が吹き来たり、清々しい風が吹き過ぎる大地を明るい月が照らしだす。
2:あらゆる執着や妄想を除き去った後の清々しい心境が、秋の夜の爽やかさに喩えられている。
★「清風」「明月」共に、悟りの世界の清らかさを表現する句の中にしばしば用いられる。





20170408(土)
①仕事最悪であった。
それでも、大塚さんにライン「帰宅 やっぱり下降」と一昨日ありがとうございました。」だけ送れた。
②志村動物園を途中からちょっと見た「かわいかった」




20170407(金)
①待ち合わせの12:30静岡駅の前に、脊椎セラピーに行きたかったが、やぱり疲れてて起きれず。
それでも、トイレ掃除とネットのゴミ取り だけ済ませ間に合う(*^^)v
②勝又さんより、ミックスビーンズドライパック2缶とヤーコン葉パウダーを頂く。
③サールナートで映画を待つっていると、佳子から、清水銀行のカードを再発行1080円したと。
で、お風呂に入る入らないの電話あり。(私は、遊んでるので申し訳ないと思いながら切る)

④映画は、13:30~15:30
『LION/ライオン~25年目のただいま~』インドのある町で迷子になり、オーストラリアの養子になった主人公が、グーグルアースで、生まれ故郷を探した。自分の名前もうろ覚えで、正しい名前の意味がライオンだつた!という話。

⑤米沢さんの工房が無くなり、焼津に、しかも、女性主催になっていて、米沢さんが、専任講師になっていた。
なぞ、専任講師米沢さんの工房に寄って、ワハハ本舗に行くコース(申し込みをパソコンで申し込みする。した!)

⑥伊勢丹の『静岡のある暮らし』職人さんの流れを継いでいる。
紫色は、貝(高い で、位の高い人となったらしい)
ガラスへの漆塗りが可能になったのは、ガラスに金箔を貼って(専用接着剤)その上に漆を塗る。
折り紙の鶴に漆を塗って、ネックレスとしたものもあった。もの同志のコラボ・作家さんとのコラボ
アイデアの時代だ!ということ を つくづく感じた。
⑦KEY'S CAFÉ (キーズカフェ)にて
パンと珈琲を二階で食す。(お土産 マカロンみたいなもの お持ち帰りは冷蔵)おしゃべりによい空間だった。

⑧美代子さんへ電話
佳子へのメール
今日 私の方は、ガラス友達(63歳たぶん)と、動いていた。
伊勢丹の物作り展を見たいと、沼津から来た。
で、ついでに、映画を観たいとのことで
『LION/ライオン~25年目のただいま~』インドのある町で迷子になり、オーストラリアの養子になった主人公が、グーグルアースで、生まれ故郷を探した。自分の名前もうろ覚えで、正しい名前の意味がライオンだつた!という話。
それはさておき、
彼女に、前回会った時、トイレットペーパーを渡して、素敵だと伝えおいてと 言われたのを伝え忘れていた。
で、彼女から、
富士の松野のプライムベーカリーのトイレの各個室に
【くすの木学園で作られたトイレットペーパーです。
大切に使ってね】みたいなのが、それぞれに貼ってあったそうです。

それを伝えたかったと
彼女からです。

今日は、お互い疲れていて、お昼は各自摂って、
13:30からの映画からの行動
で、電話をもらったのは、その映画館で、待ってる時でした。

下着を着替えてを、電話しとくね!

スマカメで、台所に電気は点いているのだけれど、
携帯も固定も
通じない。
寝ちゃったのかな?

また、30分くらいしたらかけてみるね

明日朝は、バタバタしてるので、昼休み、
着替えの電話入れるね!

私も、10日くらい、お風呂入らなかったこと、ざらにあるし(^_^;)
死ぬことはない。
ネパールでは、一生に一度も入らない人もいるよ!

大丈夫!

じゃ、いつもありがとうね!!





金スマ:ヒロミの父職人「怪我と弁当は自分持ち」口癖
2004年、ヒロミが姿を芸能界から姿を消した。生意気なキャラを変えられなかった。
テレビから消えた本当の理由。
3歳年上かな○を亡くして頑張れなくなった。気が抜けた。吉野晃章(てるゆき放送作家42)(そのままでいいんだと、言ってくれていた人)2003年白血病
骨髄移植成功率50%





20170406(木)
①映画券2枚(2,400円)ジョイブにいった。そのあと、自転車で下川原に行こうと思ったが、雨が降り出しやめる
②大塚さんとピーターパンでパンを買い、公園のベンチでしゃべる。少し救われる。
③うとうとしたあと、急いで、ソクドクへ。近野さんがいないと、いつもの盛り上がりが無かった。大村アキコさんと、なんか3人の方がよかった。ときこえた。大村テイコさん、がっつり食らい付いてきそうな感じかな(ちょっと苦手かもしれないか)
④Hさんに、考えられない・有り得ない。とのことの、ラインする
⑤久々波多野さんへラインする
④ザクロマニヨンズのコンサート行く。隣の出来の方も、60ちょい過ぎ1人で来ていた。さすがに、だれも誘えないと。
電話番号を聞かれた。
⑤Hさん、大塚さんへありがとライン
⑥明日の予定変更を頂く(勝又さんより)




20170405(水)
①帰り時、1時間記録上超過 残業したこと。残業をさきに言わなかったこと。謝ると「そうですねムカッ」と。お先に失礼しますも、CMさんが
小さな声で「お疲れ様と」言ってくれた。
制服のままで、横になって動けず。涙も流れる。
②大塚さんにsosラインしてしまう。




20170404(火)
①仕事は、ぼちぼち17:15無事?終了
②恵子さんに空メールでいいのでほしいと送ったら「元気でやっています」とあり、ほっとする。
③サラダ3日分つくる。明日お準備できる。
④勝又さんより、伊勢丹での催し物のお誘いアリ。4/7でコースプラン作成メール送る。
(映画→脊椎セラピー→伊勢丹)




20170403(月)
①歯医者9時クリーニング 左上の痛み (レントゲン撮らず)その辺は、折れやすいので噛む時は、奥歯でとの事。
もう少し様子みることになった。
左下に匂う所があって歯ブラシでかき出しているといったら、歯科衛生士さんが、歯間ブラシ小さいピンク買う。
②昨食器洗いをしなかったっため、まとめて行う。で、買出し。
③エイジリバース倶楽部 100歳の男性正吉(まさきちさん)今日は用宗から自転車で来たと。お住まいは、下川原とのこと。
いったいどんな生活をしているのだろう。ここにどうして着たの?何をしているのかと思って、ふらっと入ったとの事。
おもしろいことを、嗅ぎ分けて?入ってきたのが素晴らしい!どんな人なんだろう
脊椎セラピーは、ほんとにカラダが温まった。37.0度になった。酸素は、池村さんが熱く語ってくれたため、話の方が面白かった。
お土産に頂いた、ホットタブは、25分スマホのテレビを持ち込み入った。汗が出た。効き目は、ありそうだ。
何かが、出来ないかなと思う。久沢において、美代子さんを構ってもらうに、なんとか結びつかないかなと考える。
脊椎セラーピーももっと売れたら安くなるのではないか?韓国製、輸入3年とのこと。
⑤NHKの爆笑問題がトランプをとりあげた経済の番組をヒロムとあれこれ話せた。
⑥恵子さんからメール来ない。返信ほしい。




20170402(日)
①出勤して初めて知る。派遣さんと2人での仕事。河合さん、けっこうやってくれて助かった。事務さんから(まったく迷惑顔にて)
連日遅いと注意を受ける。(しかし、来週水は残業したくないので、薬を出す。フィズに行きたい為。まあ、とにかく終われてよかった。
➁直虎 和尚さん『自灯明』おのれの信じた道?をあかとせ!
③TVにて、羽生結弦のエキシビジョンとフリーを見れた。宇野昌磨のエキシビジョンも良かった。ワン・ツーフィニッシュ(凄い)
④恵子さんにメール送信できた。(返信はいまのところ無し。3/11メールのやりとり以来)




20170401(土)
①世界一受けたい授業
むくみ…干しぶどう  足のむくみ…足の指に手を入れ、足首を回す
ストレス…コーピング
オズワルド(権利を ミッキーマウス
何かを始めるのに年齢は関係ない(現役カメラマン女性)
②花水木で、大泣き
③入浴のオガワさんにtelにてグチを聞いてもらった。(マメをなくしたこと。実家・友人なども、話が止まらなくなってしまった。約1時間
オザワさん月曜に白内障の手術日帰りとのこと。今週はそのためお休み。縫い物の仕事が長い。夜の方が出やすいと)
④酸素体験申し込み、偶然出てくれた。で、月曜に予約が出来た。
⑤マメの赤い服とフリースを嗅ぎながら巻きながら寝た。やたらに涙が出た。


20170331(金)
①映画2本(SINGとラ・ラ・ランド)パンフレットも各1冊800×2+720×2円
サールナート会員3500円 サールナートに行って、映画情報も仕入れられたし、よい1日でした。
②掃除機かけた。肉も炒めた。サラダも作ったぞ!
③ミュージックステーションで、尾崎豊の息子の尾崎 裕哉(おざき ひろや、1989年7月24日 - )が、27を歌った。尾崎豊26歳を超えたということでのメッセージソングかな、なかなかお父さんが大きいと大変なのが伝わってくる。父とは違う自分がいると言う感じかな
④なんでだか、中島みゆきのリスペクトコンサートにヒット、久々なつかしい~

①*昨夕の新聞記事
あんパンの旬→今、なぜなら、桜の花の塩漬けのトッピング
腸活ビジネス高いね~
生まなくても、育てられます
暗闇で感覚研ぎ澄ます(音楽イベントや食事会)
就活男子に身だしなみ伝授
沼津で「ねむの木学園」美術展の記事(宮城まり子さん車椅子に乗っている90歳




20170330(木)
①昨日の疲れのとれず、頭痛耳痛と熱感、風邪ひいた下降
で、動けず、昼ごろ寝床から出る。そして、大塚さんにグチのLineして、とにかく自転車屋さんに向かった。北街道を走っていると、側道の桜が咲きはじめていたのに気がついた。よかった。上昇
②自転車屋サンで、タイヤとブレーキはOK、変速器のワイヤーとタイヤの空気入れの部分のパッキンが壊れていて交換、ジョイブ静岡の割引700円を使って、合計1,080-700円で済む。ラッキー!
しかも、「それ捨てときますよ」と言われ、いやいや、私、このザクロマニヨンズに行くんで、いるんですよ。でもどんな年齢増がくるのかさっぱりわからないんですねどね」と言ったところ、店主も好きだそうで、以前のグループのブルーハーツのまとめCDを、つい、買ってしまったと。で、時々、お店でもかけていると。「あの人たち元気ですよね。コンサート大丈夫ですよ!」と。なんだか嬉しかった。
③杏林堂では、チラシを持って商品を探していたら、おばあさんに「私もこれを探しているだよ。~~」なんだかんだで、さいごそのおばあさんに「ありがとね!」といわれ、ちょっとOKという感じ
なんとな~く、この「ありがとね!」で、立ち直れるというか、成り立っているかもと思ったり。
④ワンコと散歩しながら、信号機で止まり座ったワンコの頭を優しくポンポンしているのを見かけ…なんとなくジンワリ涙してしまった。
⑤今年初のレンゲを見た。つい、写真を撮る。春ですね花
⑥今さらながら、目が見える・耳が聞こえる・しゃべれる・食べれるし、ありがたいです!
⑦ヒロムに「眠いっしょ、お風呂入る気ないしょ!チャポンでいいから入んな!で早く寝な!」と言ってくれた。
が、その後、ヒロムはいびきをかいて寝ている。疲れているんだなぁ
⑧ヒロムの方が、ドーモを一所懸命みて、「弘子ちゃんの好きそうな仕事見つけた。どう?」と言ってきた、みると、イラストレーターとホトッショップを使う仕事、看板やサンだった。魅力的だが、最近、体を使う仕事の方がいいだ、ああだこうだと、久々に盛り上がれてよかった。



20170329(水)
①渥美さんの足の爪切りできた。
②Sさんに ほぼ、いいわけメール送れた。ぐらいかな。



20170328(火)
①平野鍼灸院 先生に尋ねると、旦那さん、かなりバランス悪い。もっと調整したほうがいいんだけどね。一応伝える。(あと、病院で診てもらうのがいいかん。と。)
②買出しダッシュで行ってくる。駐車場もスムーズ&おじさんともアイコンタクトでスムーズに出る。
③Ns会議に出たくなかったが、一応出た!しかし、その後、耳痛出現。  (食後1時間ほどウトウトする。)
④図書館で、ザ・クロマニヨンズの『オイ!ウンボボ』を借りてくる。
また、プレジデント『毎日がおもしろくなる「哲学」入門を借りてくる。
・人の目ばかり気になってしまうのだが… ・一歩踏み出す勇気を得るには? ・何でも話せる相手を見るけるには?
など母親対策に役に立つかもしれない!
⑤ヒロムに早く休みなと言ってくれる。1時間ほどウトウトする。洗濯はしてくれた。ヒロム今日は、13時過ぎに帰宅早く終わったと!
⑥Kさんにメール明日抜けるらしい。
⑦佳子にメール 母の散歩&保険手続きありがとう!
⑧スゴ腕の専門外来SPを途中から録画(睡眠・膝痛 他)見たい!





20170327(月)
①パート バルン返却の調整・Yさんの皮膚科で処方の軟膏の整理・OP後Kさんへ調子に乗ったメール(後で、あまりメールを送るつもりが出来ず) Kさんへ依頼の件の結果報告。Oさんへ皮下注が不明にて電話、来てくれて本日解決。その後、なぜそこまでやるかのメール。で、なんとか、終わる。まあまあかな。
②佳子から、お母さんの困ったヘルプメール。帰宅後、母親に℡対応。井出さんへいけいけクラブの参加しないということで出したと。入らないとのこと。それでも、出したのでよしとする。
③山下達郎星野源のラジオを5回目を聞き始める(今夜がタイムフリーで聞ける最終日)やっぱり、ラジオっていいなって感じ。オマリーについて、「歌の中で迷子になっている」と言った。おもしろい。青い目のソウル(フィルターの通し方、ぼく日本人なので)
④仕事終了後、文具館コバヤシ・コープで予定の買い物が出来た。
⑥なんとなくラジオを聞きながら、パソコンを見ていたら下をみtけた。ので一部コピペ
『夢描くことを親に許されず、私は… 山口智子さん』  2017年2月27日11時01
   悩んでいる暇があったら、イエスかノーか、自分の心に聞いて、まず選択してみることです。その選択の連続の先に、自分の未来が続いてゆく。自分で選ぶ人生に誇りを持って進めば、絶対に大丈夫! 自分の道を作っていくのは、自分しかいないのですから。




20170326(日)
①前  仕事前の朝一に、雨の中選挙の投票に行ってきた!
①しごとそこそこ無事る
②Kさん、血圧・spo2下がり→気胸  気胸でチアノーゼ→血圧下がる? Kさんより知る(メールをし損ねる(遅くなってしまったから)。明日しよう!)
③女城主直虎 「守る者がある為に、死ねる男は、果報者です」
「そなたとは逆縁にならずにすみそうじゃ」
「だいじないか」 和尚様は、直虎の頭をタッピング
④NHKの認知症の番組 1人暮らしの認知症(佳子からも見てメール)私も朝から気にしていた。



20170325(土)
①富士に行った。墓参り・掃除機・母トイレと風呂掃除 スマカメ佳子ダウンドード 民生委員さん いきいきクラブの申し込み集める方へ返事なかなかせず、2~3日で、井出さんへ返答持って行くことになる。自身に任せる。スーちゃんの家による。エゴマ・ハッサク・一学年下の連絡先を頂く。
②怪盗グルーの月泥棒【大人気キャラクターミニオンのデビュー作!!】フジテレビ
で、キーワードでのプレゼントパソコンで応募した!




20170324(金)
①なにより本日の仕事が無事終了できてよかった。木曜が4月~休みのため、他での対応(ウエルシア?)の方が来て、ちょっと同席
させていただいた。(薬剤師さんの人数で、労働局が厳しくなったので、休まざるを得ないのではないか、うちは心配ないと、さてさて、この話はどうなるのか?)
②糟屋さんの顔が私に対して、以前より和らいでいた。今後も、このような日が続くことを願う!
③ストレス解消法海外で人気『おとなまき』をテレビで西川史子(ニシカワアヤコ)が、されていた。
④佐藤浩市 ぴったんこカン・カン
息子が、俳優の道に進むと行った時「そうか」と言っただけ
三國連太郎も、佐藤浩市
息子 寛一朗

頑張れでもなんでもない

佐藤浩市は、親の気持ちも息子の気持ちも分かる
寛一朗は、三国も佐藤も名乗りたくないので、そのままじゃないか
何者か分かったら、何かつけるかもしれない?
⑤テレビショッピングの女王
アンミカ 亡き母の4つの教え?

口に十と書いて叶う
10回口に出して言う!

⑥テレビ話題
新教科書 高橋みなみ…いじめなんか許さない
     又吉直樹…おばちゃんの気もち?かな
 大谷翔平…夢をかなえる
 その他 オリンピック選手が多数と



20170323(木)
①ソクドク 近野裕子さん 大村明子さん に 大村禎子(ていこ)さんが加わった。また、元気なおば様だ。頭の体操といっていた。
私たちは、それなりの成果を求めているとは言っといた。しかし8回目とくに変化は無いが、3人で話していると楽しい!
②近野さんより、花篝(はなかがり)という桜餅(花も塩漬け)頂く、春を頂いた感じ、美味しかった! ← かしはる安倍川店
③佳子がスマカメを設置してくれて、お母さんの様子の画像を、1日たっぷり送ってくれた。まあ、少し安心かな?
④掃除・洗濯は出来なかったが、たのまれていた買い物は、無事出来ので、まあいいかな!
⑤ラジオの録音できるスマホアプリがあることを知った。もう少し早くしらべておきたかったかな。でも、これから聞きたい!
⑥4/9の禅の1日講座を申し込んだ。 AOIの500円コンサートを8/22を今野さんと、12/2は私1人申し込み済!


20170322(水)
◎何よりは、テレビにしても、ラジオにしても、会話・動作など何でも、ありがたく 思えることかな!
①Kさん、SさんFさん解決、Aさんのも順序よく整理して、CMさんに託してくれた。きちんと向き合うと、きちんと結果がでるものなんですね!
すごかった。
②仕事、私も小さく頑張った。短時間で、3Fは、Sさんにそっと手を両手で包まれて胸にあててくださった。ありがとうって感じが伝わってこちらも感謝。Yさん昨日親友を亡くされた・4/1妹さんの命日お墓が遠くて行けない・7月はご主人の新盆(ご主人は分かってくれてるんじゃないか)
2Fは、KさんがTさんが逆さをみているなど心配されていた。選択で他に今日移られている。私の一番の友達も逆さをみている心配でも何もできない。自分に子供がいないことしゃべった。
③お母さん困ったメールでやり取り。言って?(メールで)くれてるのが、ありがたい!
④KさんOP無事か?メール入れた
⑤録画を見た ぺこりゅう の『捨て犬ゼロ部』でのやり取り なんか凄い リュウチェルにペコリンが分かるように説明して、リュウチェルの反応がとてもいい。ペコリンがどんどん、リュウチェルを導いて、リュウチェルは、どんどん 成長していくような気がする。
⑥録画を見た 2017年2月6日(月曜)の
ブレイクスルー File.69 私は“闘う”トランスジェンダー ―タレント・真境名ナツキ
いま、ある映画が静かなブームを呼んでいます。
主人公は、「伝説のトランスジェンダー」といわれるタレントの真境名(まじきな)ナツキさん(29)。
ナツキさんは、“男子”である自分への違和感を早くから周囲へカミングアウトします
そのお母さんが、凄い! これも文字に起こしたい!
⑦勝又さんより、今日付けの新聞29ページより、石塚隆則さんの かけがわ茶エンナーレ で彼の作品が見たいと!
※平成29年10月21日(土)~11月19日(日)あたり、ちょっと注意して見てみたい!
⑧TEDスーパープレゼンテーションで、『子供のウソについて』20年研究してきた心理学者さんの話。ウソは成長の証だそうで、これが極端にないのが、自閉症とか


20170321(火)
①ただ者じゃないと思っていたと(ちょっとうれしい。ちょっと認められた感かな
②Bigの引き落としのキャッシュコナーにて、「お待たせしちゃって、どうぞ!」と、扉を開けてくれていた。そのあと、私も次の方に、「どうぞ~」と言ったら、「どうも」と返してくれた。
③髪カット、いつもの美容師さんでなかったが、頭のてっぺんと後ろに染めムラがあるのを見せてくれた。ムラだけでも、パサパサに見えること教えてくれた。
④明日のサラダを用意
⑤『(字幕)素晴らしきかな、人生』を、ヒロムと一緒に見れた(うれしい)
-①ラジオ放送の文字起こしは、又の機会に
⑥Kさんの手術13時頃ヨリと



20170320(月 祝日)
①TV『寒いの大好き!アイスマンの挑戦 北極で裸フルマラソン』最後は、足が止まり始める、すると小さな息子が駆け寄り、一緒に走り歩き始めた。 こんなことして何になるのか?との声も
→R-1のCMに出てくるオランダの登山家 世界一寒さに強い男 ヴィム・ホフさん
 
  世界の体調管理法「ヴィム・ホフ(ポーズ)」篇 15秒
    ⇒https://www.meiji.co.jp/dairies/yogurt/meiji-r1/gallery/detail_wimhof.html

R-1のCMに出てくるオランダ人登山家の正体は?
→生年月日:1959年4月20日 (57歳)
ヴィム・ホフは、様々な寒冷な環境に関わる記録をもち、「アイスマン 」の通称で知られるオランダ人。彼は、普通の人々よりも寒冷に耐えることができるようになるという「ヴィム・ホフ・メソッド 」を開発した。
http://stapo.net/cm/r-1.html
オランダでカトリック教徒の家庭で生まれた彼は、
幼いころから自然宗教など、世界の秘伝的な思想に惹かれ
冷たい水に浸かって心身を鍛える挑戦を始めました。
17歳から始めたこの修練は、どんどんエスカレートしていき
雪山に素足で登ったり
-20度~-30度の北極で素足でハーフマラソンを完走したり
フィンランドでは分厚い氷の下の海に潜って息継ぎなしで泳いだり・・・
などなど超人的な記録を打ち立て、メディアからも大いに注目を集めました。
現在では、見世物になる事を嫌い、こういったパフォーマンスはあまりやっていませんが
その代り今までに培ってきた鍛練法を広め、人々に健康と精神の強さをもたらすための活動を行っています。
ヴィム・ホフさんがこんなにも寒さに強いのは、
アジアの瞑想の技法や呼吸法を習得し体温を調整することができるからだそうです。
彼は精神的な鍛錬によって人間は自分の神経系に影響を与えることができると主張して
「ヴィム・ホフ・メソッド」という健康法を生み出しました。
彼の超人的な体質の秘密を探ろうと多くの科学者が研究を行ってきましたが、
彼の能力が 先天的な体質に依るものなのか、訓練の果てに適応したものなのか、彼の言う鍛練法によって獲得できるものなのか、はっきりとした結論を出せていません。
ですが、2015年1月、彼の弟子たち18人は
実際に裸でキリマンジャロの頂上に上るという記録を打ち立て
の効果を証明してみせました

②ラジオ山下達郎と星野源
『民放ラジオ101局特別番組 WE LOVE RADIO! 〜山下達郎・星野源のラジオ放談』
山下 達郎、星野 源、マンボウやしろ(ナビゲーター)K-mix 3月20日(月) 19:00-20:00
1週間聞くことが出来る!方法
radiko.jp → タイムフリー → 検索 

③報道ステーション 明日ダウン症の日
「Born This Way」の出演者であるアシュモア英玲奈さんは、開催された公演で「私たちを見た目で判断しないでください。夢や目標を実現できるように支え、良い教育を受けさせてください」と強く訴えた。

富川悠太は「アメリカで取材をしていて、ダウン症をひとつの個性と捕らえていたこと。その背景には、生まれてすぐに受けられる教育支援で、これは法律のもとに行われているので地域間の格差がない」と話した

Born This Wayの放送日 21日22:00から22:45 or 22日21:15~21:59 スタート
http://ameblo.jp/airi-ryuen/entry-12258113872.html



④映画『素晴らしきかな、人生』
予告編より
【人生は“人”がすべて
 ここに来るのは つながるためだ
 この冬  人とのつながりに気づく
 俺には愛が何かすら…
愛こそ人生よ すべてに否応(いやおう)なく宿っている
信じることに気づく
俺は“時間”だ
あんたは俺をムダ遣いする
死 時間 愛


⑤落ち着いたら、ヒロムがこれからのことを話したいと

⑥佳子とメールのやり取りができたこと。
⑦仕事、それぞれ役割が出来たこと。胸苦しいいつさんとエイエイオーで夕飯に行って下さったこと。良し!
⑧勝又さんから、今日もいい日を送っているメール届く


20170319(日)
①TV 直虎 今川に出向く際の おとわ と 亀之助の会話 戻ってきたら一緒になる
                    もう一つ(録画を見る予定)
②TV A Life ドラマ展開が一世代前のような気がするものの、
       キムタクと田中(親父さん)とのやり取り とても凄かった 言葉・動作に一つの無駄もない?
       2度目の手術後に、奥さんと旦那(自分が受け入れられていないと思っていたのが解けて)目の前に現れて       

③TV Mrサンデー 
・3/15 生太郎「2番目…う~ん2番目。私はこの種のわけの分からん質問がきたときは答えることは一つ。人間が生きていくうえで大事なことは、朝、希望を持って目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る。この気持ちだと思います。」
・「一日一生」 麻生太郎と山田太郎のやり取りから、古館さんが言った
(一日は一生の短縮版であり、一生は一日の積み重ねでしかないのだから、一日を大切に生きることが一生を大切に生きることにつながる)

・軽い気持ちからだったが、卒業生11人が見つけた絆
閉校を覆した中学生の関連記事
記事:「閉校」覆した中学生11人の絆 市教委動かし異例の1年延期 悩みながら成長、支えた大人たち
http://www.nishinippon.co.jp/feature/select/article/293162
記事:<閉校覆した中学生>(4)「逃げ恥」恋ダンスにオタ芸 文化祭本番、照れがない後輩たちに驚き
http://www.nishinippon.co.jp/feature/select/article/293171
④sikeさんに、映画おすすめ『はじまりはヒップホップ』を動画紹介
⑤Kさんに、ベイクドチーズをプレゼント 無事手術!



20170318(土)
①本日1日、勝又さんと大人散歩 大成功(前日プラン 朝スマホにスケジュール入力(案外上手く行動できたかな!))
10:15 草薙駅にて合流→県美(蜷川実花展)→スパーゴ草薙店(ランチ 本日のパスタ(トマトときのこ))
→アイセル21(世界の椿展(前日勝又さんが新聞で探す))→富屋珈琲店-Cake&Cafe順孔→静岡駅17時前
追加:1:意識不明からの回復のまとめ印刷を渡した
    2:【技術が凄い】「そうやって塗るの!?」ネイルアートの塗り方やデザインが上手すぎてついつい見てしまう
      を見てもらった。面白がってもらえた!
    3:キセキの歌詞と音楽を一緒に聞いてもらえた!
    4:県美のスタート (ビンカミノール:キョウチクトウ科 ヒメツルニチニチソウ  春に出た茎は立って、先端に淡い紫色の鼻をつける。花後、つるを出して地面を覆う。春に斑入りの品種がある。)小さな花を勝又さん発見!
    5:マメの動画も見てもらった
    6:バックパッカーの時の写真をスマホに入れたものをちょっと見せた見てもらった。
    7:ロダン館 写真を撮ってよかったこと。本日、初めて知った!あとアプリで説明やクイズができることも初めて知った。あと、音声の説明器も無料で借りられることも知った→いつか活用してみたい。
②班長さんが、1年間お疲れ様でしたと「4700円」全員の組長さんに頂いた。班長はやっぱり大変だったみたい。言葉交わす
③『へんてこ生物アカデミー』デメニギス:透明な頭、その中に目が入っている。クオッカ:ハッピーアニマル
④いじめをノックアウトスペシャル第9弾 「そうだったのか!? いじめって。」
http://www.nhk.or.jp/school-blog/300/265015.html
その方は、先生が先生然としていた。いじめから、何々を学んだなんていっちゃダメと言ったが、それぞれが、それぞれの方法で、乗り越えていくのではないかな。
歌『あの空』高橋みなみ
新たなプロジェクトが2つ
  1つ:2016年12月LEAP DAY@沖縄 ベンチャー企業を立ち上げたい学生が、自らの企画のプレゼンをするイベントがあった。 審査はIT企業や投資家 アイデアを実現するためのアドバイスや助言を行う
スマホのアプリを使ったイジメのサービス『Helppush』をいうサービスを考えた(中3 高3が考えた) 具体的にイメージしていくと もっとアプリケーションが具体的になって本気で助かりたい人が、本気で使ってくれるんじゃないかな(マイクロソフト テクノロジーセンターのセンター長)
  2つ目:相談しやすくなるアンケートを作ることを第一の目標として『いじめアンケートの改革案!』
  さらに:世界に向けたプロジェクト:FACES(How I survived being bullied)誰もが、自分らしく生きられるように
       フェイシズ いじめをこえて
       世界中で人々が、いじめの経験を語り始めた、今も傷つく人の希望の光となるために、わずか2分の彼らの証言が地球上のあらゆる国と地域に発信される、ヨーロッパ、アジア、南米など、あらゆる地域とNHKが取り組むプロジェクト
(^。^)



20170317(金)
①三浦大知(みうらだいち)Aスタジオ をチラ見 キレキレのダンスで、しかも歌ってる!マイケルジャクソンみたいだ!
②仕事そこそこ良し
③明日の予定を勝又さんに提案ヽ(^o^)丿良し
④マメのことココちゃんのお母さんに話せた。
⑤TVに子犬(柴犬)が出ていて、昔のマメのようだった。かわいい(なんだか涙)



20170316(木)
①速読の方らに、意識不明からの(意志がつたえられない13年から)の回復(印刷物)に興味を示してくれた
②掃除機と洗濯がひさしぶりに出来た
③なにやらyosikoからメール(miyokoと)あり
④May Jの曲を見つけるyahooにて
⑤ニュースからおもしろ雑貨(中小企業の方向性をもとめて)の一つ富士山グッツ 見つけ



2017年3月15日(水)
①マメの好きなもの3品(から揚げ・マーラーカーオ・チーズパン)揃えたよ
②職場で初めて寸志がでた!おまけにみなさんに金一封あり\(◎o◎)/!びっくり~!
③Sさんに、興味の触手を伸ばしてほしいことを伝える。未来への私にもつながっていることも伝える。
④Yさん、台湾?でITの企業を起こした息子さんが「もう、長くないんだ」と帰国して日赤に入院して1週間で逝く。ご主人は、
奥さんと娘さんだけを残していくのを心配して生きることを頑張ってくれた。奥様が体の弱いこともあって、何年も味噌汁を作ってくれていたと。
とても感謝している。「ご主人頑張ってくれたんですね」って、言ったかいわないうちにTELで呼び出し、途中になってしまったが、私に頭を下げて下さった。


20170314(火)
①仕事割り方スムーズ。薬局さんが本日最終日ということで挨拶に来てくれました。3月ですね(結婚なのであまり関係ないかな)
②TEDで意思疎通が13年できなかった人の回復の記事を探し出せた。(後回しにして、しばらく探せなかったのが見付かった。読めた)
③龍潭寺の僧侶・傑山(市原隼人)のyahooの記事を見tつけて、その姿勢が、やっぱり素晴らしかった!
④マメの谷津山の動画を、やっと発見できた(^_-)-☆ 明日は、マメの月命日


20170313(月)
①フィットネスの3期の終了式(増田先生はアウトダアーツアーガイドへ 菅沼先生は元新聞社勤め 先生2人が終了)
3月は、別れの月であることを再確認。でも、今日出席してよかった。それぞれ新たな出発だー!
②映画『キセキ あの日のソビト』を 13時から見る 耳が心配だったが(今日が最後のチャンスだったので)、なかなか良かった!
③勝又さんにメールした。
④買出し、3日分のサラダ作りOK
⑤ザクロマニヨンズのジャングル・ナインを聞いた!
⑥キムタクの寿司屋の父役は、舞踏家の田中 泯(たなか みん)さんと知った。なかなか渋い。


20170312(日)
①横浜FC三浦和良(50歳14日)Jリーグ最年長得点記録更新 カズダンスも披露した!(シミジミ)
②サウジアラビアのサルマン国王(81歳)46年ぶりの来日、同行1000人、ホテル・ハイヤーも関西のナンバーあり、目的は、脱石油の解探す旅。次世代への橋渡しを考えているのかな。資源のない日本を参考に出来ることは沢山あるのかな。爆買いにいろいろヒントがあるのかも。いずれにしても、すごい!
③適度に仕事も順調にいったかな。2階Kさんに感謝された。こちらこそ感謝です。
④本日のいいTVを見た
その1
『直虎 第10回「走れ竜神小僧」』
柴咲コウと三浦春馬と高橋一生の言葉のやりとりに涙
柴咲コウと浅丘ルリ子との言葉のやりとりに笑
【日々是好日(にちにちこれこうじつ)】
その2
『日曜劇場A LIFE(最終回前)』
木村拓也と親父さんとのやりとりの言葉から
【一途一心】にフムフム
木村拓也と新コンビのNsさんとの言葉のやり取り以外に
アイコンタクトできたあたりで涙
⑤ヒロムも直虎で涙していたのを見たとき
⑥ソフトバンクのコマーシャル デビュー婦人(デヴィ スカルノ1940年2月6日生 現77歳)いくつになっても挑戦がいいなぁ~!
⑦昼休み「ブルーハーツの『ジャングル・ナイン』」を借りてきた!今日は聞けなかったけど明日聞こう!



20170311(土)
①Kさんより ご心配いただいて有難うございます。大丈夫です。と、まずは返信あってよかった。
②えらい時間をかけて、スマホに、MP3曲とMP4動画を入れた!旅行中の写真と曲・動画が一部見れない。(今後、調整必要。でも、、まず、入れたことは、すごい!
③ヒロムが黄金焼きを買ってきてくれた(*^^)v


20170310(金)
①HSさん、『賢い子の育て方』の本に、良い事が書いてあると教えてくださる。こういう本も読んでいるんだと驚かされる。
②SSさん、朝、うとうとされていた。家に居ると勘違いされ「何でここにいる?」と。寝ぼけ姿を見させてもらったかな?すぐにいつもの様子に戻られる。
③残業になってしまったものの、自分的には、全体にいい流れだったかな。
④ボールペンの芯(文具館コバヤシ)と野菜(コープ)に忘れずに寄れた(*^^)v
⑤今夜Kさんに心配メールを送れた(しかし、返信は来ていない。でも、信号は送れた)
⑥同僚に『ベターッと開脚』をやろう。やるページをメールすることを提案した(そのうち開始したい)
⑦ディズニー映画TV『塔の上のラプンツェル』をながら見。アナユキの技法の基礎的な感じかな。アメリカのディズニー、日本のジブリ、それぞれである。
⑧Sさん、本には、いつも新しい発見があると(すごいな~!)
⑨サワコの朝『坂上みき』53歳で出産バッシング トレイトレイ https://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/news_business/p02e39dba70cad1368f6500f71442bd0a


20170309(木)
①スピーチ欠席・掃除はできなかったものの、フィトネス・速読参加。車の車検も出す、洗濯機ネットも洗う。本日OK
②大村さんのおばさん85歳で水泳参加。まだ先は、ありそうだと思わせて頂いた。
③杏林堂の駐車場から出ようとしたとき、渋滞でしばらく出れそうに無かったが、右折車あり、タイミング良く出れた!ラッキー!
④百斤で、かわいいニャンコ付箋・マスキングシール・透明ふせん・シリコンイヤーパッドを買った(*^^)v


20170308(水)
①仕事もわりとスムーズにいった(雑用もこなせた)
②S様と職員さんが繋いだ手を大きく振って歩いている後姿をみれた(^_^)
③ヒロムが森友学園に入園希望者がいるだろうか?スマートフォンを持っていれば何でもできる情報を聞いたと。→すこし興味をもってくれたのかな(*^^)v
④NHKネットクラブで『再放送ウォッチ!週間登録ランキング』で再放送のお知らせメールがあることを知れた。
⑤職場でコラーゲンの凄さの話を少し出来た。(褥瘡・駅伝にも効あり)


20170307(火)
①職場でkさんに大地の恵を渡せた いたわりを少し伝えられたかな!?
②休み希望迷ったがやっぱり8日出した
③スマホは難しいか訊かれ、初めは大変でも、先生に来てもらっている人がいる事を話す
④91歳のかた、昨年1年に知り合いが22名亡くなったと。自分を見失わないようにしないといけないと。努力をしているんだということを教えて頂いた。
⑤お隣の方に組長のバトンタッチの連絡がついた!
⑥コラーゲンの効果に魅力を感じられた(0301放送の録画をみて)



20170306(月)
①スピーチのテーマの提案メールした
   ①自分のヒーロー(どんな処が素敵か)
   ②自分が逝く前にしておきたいこと
   ③ちょっと良い習慣
   ④好きな曲(どんな処が好きか)
②TV『成功の遺伝子』見れたこと(録画もあり)
   ①たまきこうじ ♪田園 
   ②ゴダイゴの銀河鉄道999 英語版作詞者のこだわり
③仕事も月曜Hさんに任せたパー


20170305(日)(本日よりスタート)
  

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2017年03月05日

2017年3月5日手帳活用法(1日講座)メモ途中

朝日テレビカルチャー『人生を変える 手帳活用法』
13:30~15:30 会員4,320円
講師:松本一成 1971/6/22生 2000年よりフリーランスのグラフィックデザイナーとなる。
手帳研究(自分の時間管理)

太陽本日の講座の1番の気づきは、
白黒言わず
まずは、やってみる!実行が大事かな

今日1番よかったことは、
この講座を受けてみたことかな(^_^)ノ太陽


圧倒的1日に脳内言葉 6万回 1人で会話している。

セミナーで、①それ知っている ②やったことがある
        → 頭にシャッター入らなくなる。
          ・中身が違うことがある
          ・何か知らないことがないかなぁ~

効果的なセミナーの受け方
      ・細かくメモらない → 本日の内容は後で、メルマガで配信されると。
      ・何か「気付き」を得る
      ・目的…行動を変える

『今日の学びのシート』を渡される
 日付
 ・今日、何を得たいですか?
 ・今日のセミナーでの気づき(3つ以上)
 ・TODOLIST-今日のセミナーを聞いて、具体的にやってみようと思ったこと(3つ)


☆そもそも『手帳とは?』
   自分の行動を変えるためのもの…ただただ入ってきたものを書いておくだけものもではない。

グチを聞いても言っても、頭は、それを区別できない とらわれる
悪いこと ちくしょう 脳に焼きつく で苦しむ

良かったことをほとんど覚えていない
・☆手帳に、毎日の良かった記録を一つ残す(無理やりで可)
     1年で365個になる。



セミナー後、『今日の学びのシート』に記入したもの
 日付
 ・今日、何を得たいですか?
   ・だただた入ってきたものを書いとくだけのものではない。
   ・アポイントの時に重要なのは、終わりの時間も決める
   ・忙しい時ほど、睡眠をとる(削らない)
   ・SNSは、アウトプットのツールにする。→自分のものになる。本の感想等

 ・今日のセミナーでの気づき(3つ以上)
 ・TODOLIST-今日のセミナーを聞いて、具体的にやってみようと思ったこと(3つ)


   ・手帳…フランクリン・プランナー
        7つの習慣をする為の手帳

   ・中山久美子さん
     実際の手帳を見れて良かった。見たくなる手帳だった。
「手帳と言えども、自分と向き合うツールになる」
フェイスブック ケーキだけでなく いろいろな思いを伝えたい
nomad salon Happy
「美とスイーツ」を提供するノマドサロ


※手帳活用セミナーPDF
http://envelope-ex.com/L44085/l17/1s21/6
  

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